萩原麻未さん=東京都内、石合力撮影

米国による広島、長崎への原爆投下から、今年で80年。いまだ戦争も核兵器もなくならないなか、どうしたら少しでも平和に近づけるのか。被爆地とつながる各界の人たちに聞きました。

 私は被爆3世です。原爆についてだれかが伝えていかなければならないなかで、その中の一人として生まれた。自分にとってやるべき使命があると感じます。パリの音楽院に留学して、出身地を聞かれたときに広島を知らない人はいなかった。そのことがすごく印象に残っています。

 広島に原爆が投下された日の朝、母方の曽祖父と祖父が戦争をめぐって口げんかになりました。曽祖父は常日頃から戦争反対だと声をあげる人で、祖父はそういうことを周りに大きな声で言うべきではないと。家は比治山の近くにあり、爆心地から約2キロ。祖父は出勤が遅れて家の中にいて助かったと聞きました。曽祖父は、身体が弱かった息子(祖父)をどうしても戦争に行かせたくなかったそうです。

 祖父は、女学生だった妹を探しに原爆投下直後の町の中を歩き、被爆しました。妹はがれきの下敷きになっていたところを道行く人に引きずりだしてもらって助かりました。祖父は、その時に見たまわりの光景があまりにも残酷で、思い出したくないと話していました。

 祖母も広島市内で被爆しまし…

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