出雲坂根駅に停車するJR木次線の列車。これからスイッチバックの2段目、3段目をのぼっていく=7月5日、島根県奥出雲町、太田匡彦撮影

 列車の登坂能力が不十分だった時代の鉄道網を支えたが、電化などが進んで今や「無用の長物」となり、消えゆく各地のスイッチバック――。一般に日本最初の本格的なスイッチバックとされる松井田駅(群馬県安中市)のものも、既に昭和30年代に廃止されています。「スイッチバック大全」(誠文堂新光社)をまとめた江上英樹さん(66)と共に、その痕跡をたどりました。

痕跡を残していた「杭」

 松井田駅はいま信越線の駅だが、もともと、東海道線よりも先に東京と京都を結ぶ主要路線として構想された「中山道幹線」の駅として1885年10月に開業。場所もいまより1キロほど横川寄りにあった。

 高崎駅から信越線に乗り、向かったのは西松井田駅。高崎―横川間の電化にともなって1962(昭和37)年7月にスイッチバックを廃止し、松井田駅を現在の場所に移転させる際、松井田町(現安中市)や地元住民の強い要望で新たに設けられた駅だ。

 二つ手前の磯部駅を過ぎたあたりから、急勾配が始まる。ホームに降り立つと、横川方面に向かってのぼり坂になっていることが見て取れる。

 橋上駅舎の窓から東側を見渡す。

 駅前から、左カーブを描いて線路から離れていく道路が走っていた。江上さんによればこれが、本線をそれ、もとの松井田駅へと入っていく線路の名残だという。

 その先には市立松井田中学校。旧駅舎はかつてそこに立っていた。

 北西方向に目を転じると、本線から分岐する線路が敷かれていた辺りに沿うように、住宅が立ち並ぶ。かつては、高崎方面から急勾配をのぼってきた列車はまずこの「引き上げ線」に入り、後退して本線を横切り、松井田駅のホームへと入っていった。

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 ホームから引き上げ線の先端…

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