熊本地裁前で「一部勝訴」と書いた紙を掲げる原告側の弁護士=2025年3月14日午後2時26分、熊本市中央区、吉田啓撮影

 1985年に熊本県内で男性が殺害された「松橋(まつばせ)事件」をめぐり、再審無罪が確定した故・宮田浩喜さんが、捜査や証拠の取り扱いが違法だったとして国と県に約8500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が14日、熊本地裁であった。品川英基裁判長は、確定審の公判における検察官の注意義務違反を認め、国に約2380万円の賠償を命じた一方、県に対する請求は棄却した。

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 事件は同年1月に、同県松橋町(現・宇城市)で発生。宮田さんは捜査段階で犯行を「自白」したが、一審途中から否認。無罪を訴えて最高裁まで争ったものの有罪となり、約10年間服役した。

 宮田さんの弁護団は97年、検察側が開示した証拠の中から、宮田さんが「凶器の小刀に巻き付け、犯行後に燃やした」と供述していたシャツの布を発見。他の新証拠とともに再審請求し、2019年3月、熊本地裁で無罪が確定した。

 国と県に対して損害賠償を求めて提訴したのは20年9月。訴状では、起訴後の捜査で見つかったシャツの布や、その布に血液が付着していないとする鑑定書を検察が裁判所に提出しなかったことを「証拠隠し」と指摘したほか、県警が逮捕前に連日、長時間の取り調べを続けて自白させたこととあわせ違法だと主張。「無実の罪で長期間の服役を強いられ、その後も社会的偏見にさらされた」などとして賠償を求めた。

 国はシャツの布などを証拠として裁判所に提出しなかったことは認めたが、「証拠隠し」ではなかったと主張。県も県警による当時の取り調べについて「任意捜査としての手段・方法の相当性を欠くところはない」などと反論していた。

 宮田さんは国賠訴訟の第1回口頭弁論を翌月に控えた20年10月、87歳で死去。訴訟は相続人が承継して続けられ、24年12月の第6回弁論で結審していた。

松橋事件の経緯

1985年1月8日 熊本県松橋町(現宇城市)の自宅で男性が遺体で発見

     20日 県警が宮田浩喜さんを殺人容疑で逮捕

   2月 熊本地検が殺人罪で起訴。その後、銃刀法違反などの罪で追起訴

 86年12月 熊本地裁が懲役13年判決

 90年1月 最高裁が宮田さんの上告を棄却。刑が確定

2012年3月 宮田さんの成年後見人が地裁に再審請求

 16年6月 地裁が再審開始決定

 17年11月 福岡高裁が検察側の即時抗告を棄却

 18年10月 最高裁が検察側の特別抗告を棄却。再審開始が確定

 19年3月 再審で地裁が殺人罪について無罪判決。検察側が上訴権を放棄し、無罪が確定

   9月 地裁が約6千万円の刑事補償を決定

 20年9月 宮田さんが国と県に約8500万円の損害賠償を求めて地裁に提訴

   10月 宮田さんが87歳で死去。訴訟は相続人が承継

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