米国による広島、長崎への原爆投下から、今年で80年。いまだ戦争も核兵器もなくならないなか、どうしたら少しでも平和に近づけるのか。被爆地とつながる各界の人たちに聞きました。

 長崎市の平和公園の近くにある病院で生まれ、2歳か3歳ころまで、近くに住んでいました。家族から聞いた話か自分の記憶かあいまいですが、近所にカステラ工場があって、甘いにおいが漂っていました。安く売っていたカステラの端切れをよく食べていたので、今でもカステラが大好きです。

 当時、平和祈念像は子どもの遊び場で、上に登っている子がいました。自分もいつか登れるようになりたいと思った記憶があります。

 祖母は一番下のおじを妊娠中に被爆したと聞きました。風呂掃除をしている最中で、背中にガラスが刺さった。おじは胎内被爆者です。

 私たちの世代は「戦後」とい…

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