弥生時代の「神殿」ともいわれる池上曽根遺跡(大阪府)の大型建物に謎が生まれた。複数の柱の年代を再計測すると、最大で700年以上も離れたバラバラな測定結果が出たのだ。「ひとつの建物なのに、こんな例は知らない」と研究者は首をかしげる。いったい、どういうこと?
同遺跡の大型掘立(ほったて)柱建物跡(中期)が一躍有名になったのは1990年代のこと。柱の根本が腐らず残っていた18本のうち、5本について奈良国立文化財研究所(当時)が年輪年代法で古さを測定。1本が紀元前52年という値をはじき出し、これが建物の建築年代となった。あとの4本もほぼ同じころとされた。
年輪年代測定は、年ごとに変化する樹木の年輪幅を測る方法で、「ものさし」となる標準パターンと比べながら建築材の伐採、あるいは枯死した年代を推定する。その数値は、土器の型式変化をもとに組み立てられてきた当時の編年に修正を迫るもので、学界に衝撃を与えた。
あれから約30年。当時は不十分だった標準パターンの精度や信頼性が高まったこともあり、この手法の専門家、光谷拓実・奈良文化財研究所名誉研究員がこのほど、遺跡が立地する和泉市・泉大津市や国立歴史民俗博物館(千葉県)と協力して測り直した。
その結果、前52年の柱は従来の値を追認した一方で、残る4本の年代は前221年、前403年、前520年、前782年と散らばり、いずれも従来考えられてきたよりはるかに古かった。新たに1本を加えて実施された、年輪に反映される夏場の降水量の違いで年代を求める酸素同位体比年輪年代でも、ほぼ一致した。
ひとつの建物なのに、柱の古さに数百年ものばらつきが出るという「想定外」(光谷さん)の結果に、箱﨑真隆・歴博准教授も「きわめて特殊だ」。理由として複数の解釈を提示する。
まず、転用材の可能性。大型…