絶頂から破滅へ。激しい転変をたどった人生がある。幕末の加賀藩を支えた豪商・銭屋五兵衛(1773―1852)。北前船で巨万の富を築いて「銭五」の名をとどろかせたが、埋め立て工事をめぐる無実の罪で獄死した。その「夢の跡」を追って、故郷の金沢市金石地区かいわいを歩いた。
金石港近くにある石川県銭屋五兵衛記念館。1隻の船に張られた白い帆を、来館した男性が見上げている。「北前船のスケールの大きさがはっきりわかる」。銭五が建造した常豊(じょうほう)丸の4分の1サイズの復元模型だ。
銭五は現在の金石にあたる宮腰(みやのこし)の両替商の家に生まれ、17歳で家業を継いで質屋、材木商などを営んだ。海運業を始めたのは、39歳で質流れの船を修理して米を運んだのがきっかけだった。
記念館によると、財政再建を…