総会冒頭にあいさつをする「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」の桑田正彦理事長=2025年6月22日、大阪市東淀川区、仙道洸撮影

 森永乳業の粉ミルク製造工程でヒ素が混入し、乳児130人が死亡、約1万3千人に被害が出た森永ヒ素ミルク事件から今年で70年。被害者らによる「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」が22日、大阪市東淀川区で全国総会を開き、全ての被害者が亡くなるまで救済事業を続けることが確認された。

 厚生労働省や同社の関係者を含め150人以上が参加して冒頭、亡くなった被害者に黙禱(もくとう)した。守る会の桑田正彦理事長は70年を振り返り、「歴史を学ぶことの意義を、立場を超えて再確認することが必要だ」とあいさつした。

 同社徳島工場が発端となった被害は1955年6月ごろから西日本を中心に広がった。後遺症は脳性まひや精神・発育障害など多岐にわたる。同社が出資する救済団体「ひかり協会」によると、今年4月現在の救済事業の対象者は5182人で、このうち566人は障害者手帳を持つ。

 協会は生活相談や手当の支給、交流会などを行っている。今年3月には守る会と足並みをそろえ、救済事業を「全ての被害者が亡くなるまで続ける」と決定。「終生にわたる事業」と明文化し、国や同社と方針を確認した。

 被害者として初めて協会理事長となった前野直道さん(70)は「闘いの歴史もあったが、救済を死ぬまでやると決めたのは画期的だ。とにかく最後まで頑張りたい」と取材に語った。

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