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霞ケ関駅構内へと続く階段に立つ森達也さん=葛谷晋吾撮影
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 3月20日で、地下鉄サリン事件から30年となる。オウム真理教を取材したドキュメンタリー映画「A」シリーズで、社会とは異なる視点で信者らを描いてきた、映画監督で作家の森達也さん。今、考えていることとは。

 ――1995年という年を振り返ると、日本にとってどんな年だったのでしょうか。

 95年は、日本社会にとって大きな分岐点だったと思います。1月に阪神・淡路大震災が起き、2カ月後に地下鉄サリン事件が発生した。未曽有の天災と人災が立て続けに起きて、日本全体が大きな不安と恐怖に揺さぶられました。

 人々は安全を過剰に求めるようになり、「セキュリティー社会」が一気に立ち上がった。街中のいたるところに設けられた監視カメラや「テロ警戒中」の呼びかけが当たり前になりました。インターネット元年も95年。ネットによってこうした不安はさらに広がりやすくなっています。

 ――「セキュリティー社会」で安全・安心になったのでしょうか。

 「1人が怖い」「みんなで、同じ者たちでまとまりたい」という、「集団化」の傾向が強くなりました。

 その象徴的な言葉が、2011年の東日本大震災の時に使われた「絆」。集団化は、人間が生き残るための本能的な行動で、群れる生きものになったからこそ人はここまで繁栄できたのだけれども、それには副作用もあります。

 ――副作用ですか。

 集団化が進むと、同調圧力が強まり、異質なものを排除したくなる。多数派であることを実感したくなるからこそ少数者への差別が激しくなる。集団化が進むことで、「自分たちとは異なるもの」を拒絶する動きが強まり、結果として分断が起きる。

 そして、集団はみんなで同じように動こうとするから、強いリーダーが欲しい。その結果として、間違いなく30年前だったら「独裁者」と呼ばれたような政治家が、世界中で支持を集めている。日本社会は昔からそういう傾向が強かったけれど、オウムの事件以降、一層拍車がかかりました。

 「加害者は決してモンスターではない」

  • 「普通の人」狂わせる集団の圧 森達也が問う地下鉄サリン事件

 ――オウムを取材した「A」シリーズは、マスメディアの報道とは異なる、オウム信者たちの葛藤や暮らしぶりを映し出しました。

 カメラを手に初めてオウムの施設に入った時、一番驚いたのは、そこにいる信者たちが善良で穏やかだったことです。

 1998年にドキュメンタリー「A」が公開された時、「事件に加担していない信者たちだから善良に見えて当たり前だ」という声もあった。

 でも、事件に加担して死刑判決を受けた6人の「実行犯」にも会いに行き、面会を重ねても、やはり「善良で穏やか」な人たちでした。見えたのは、普通の人が普通の人を殺すという現実です。

 ――もともとは、テレビで流すために始めた取材だったそうですね。

 民放テレビ局で放送する作品として始めた撮影でした。オウムの教団施設で撮った映像を見せたら、上層部から撮影中止の指令が来ました。理由はよくわからないけれども、推測はできます。

 邪悪で凶暴で冷血な集団、あ…

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