Smiley face
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居酒屋「ながほり」で店に立つ中村重男さん(右)と海里さん=大阪市中央区、林敏行撮影
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 あの日の夜、棺の中の妻の目には涙がたまっているように見えた。

 悔しかっただろう。

 息子のことも気になっているだろう。

 20年前、JR宝塚線(福知山線)の脱線事故で妻を亡くした。中学生だった一人息子を立派に育て上げようと、あの日から毎日を必死で駆け抜けてきた。それでも、妻に思う。申し訳ない――。

 大阪市中央区の居酒屋「ながほり」を営む中村重男さん(67)が、7歳年下の妻の道子さんと出会ったのは、道子さんが高校生だったころ。アルバイト先の同僚だった。

 「明るくてかわいい子やな」。勤め先が変わっても文通を続けた。兄と妹のようだった2人の関係が変わったのは、重男さんがながほりを開店して3周年のとき。お祝いにと店を訪れた道子さんと意気投合し、つきあうようになった。

 結婚から数年後、道子さんの希望で海里さん(34)の出産に立ち会った。病院についてしばらくすると、道子さんが顔を真っ赤にふくらませていきみはじめた。「看護婦さん!」。重男さんの声が裏返った。

 出産後、道子さんは海里さんを胸に抱き、ほっとした表情を見せていた。

 重男さんは「おつかれさん、ありがとう」と伝えた。息子の名前は、海外でも活躍出来る人になってほしいと、道子さんが付けた。

 道子さんは、電車の中でも英単語帳を開くほど勉強熱心だった。夢は、地域の子どもたちが学べる英語教室を開くこと。母親の印刷会社を手伝いながら、塾の講師や保育士もした。

 事故の前夜、道子さんと重男さん、中学3年生の海里さんの3人で夕食を囲んだ。受験の話題になり、道子さんが海里さんを励ました。

 「人生も竹と同じで節目がある。いい竹になるには節目節目で頑張らなきゃいけないよ」

 次の日、道子さんはいつも通…

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