歴史社会学者の内海愛子さんは、忘れられた存在だった朝鮮人BC級戦犯が、「日本人」として戦争責任を肩代わりさせられた問題に光をあて、研究を続けてきた。戦後80年を迎え、私たち日本人に戦争加害や植民地の問題は見えているのか。内海さんと歴史学者の成田龍一さんが語り合った。
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成田龍一さん 「戦後80年」の年にあたり何を考えるべきか。「戦後とは?」という問いを含んでいますが、あの戦争や戦後から何をどのように記憶し、歴史へつないでいくか。とくに「総力戦のもとでの出来事の記憶化と歴史化」ということを内海さんと考えていきたいと思います。
総力戦というのは20世紀前半の戦争の形です。19世紀までの戦争は、国家間の軍隊と軍隊の戦争でした。しかし、総力戦の時代に入ると、一つの国が総力を挙げて戦争に向かう。誰もが逃れ得ない形で戦争に巻き込まれることになっていきます。
日本の戦争責任を問われた朝鮮人
内海愛子さん 総力戦を戦った相手を私たちは意外と意識していません。日本はだれと戦争をしたのかと聞かれて米国や英国を思い浮かべると思いますが、日本に宣戦布告をした国は30カ国以上あります。オランダやギリシャも日本に宣戦布告をしています。日本軍が占領したインドネシアはオランダ領でしたが、そこに暮らす民間人を抑留しています。戦争は、戦場で兵士が戦うだけではなく、銃後にいる民間人が国籍により収容される。子供も老人も女性も例外なく、「何国人であるか」で戦争に組み込まれていく。総力戦の怖さを感じます。
成田 誰が誰と戦ったのかは、一見自明のようで、自明ではありません。内海さんが1980年代に書かれた著書「朝鮮人BC級戦犯の記録」は、「朝鮮人が日本の戦争責任を問われて戦争犯罪人になっている」という書き出しから始まります。1910年の日韓併合後、45年8月に大日本帝国は敗北し、朝鮮半島をはじめ植民地は解放される。東京裁判で戦争指導者が裁かれて総力戦が総括されます。しかし、祖国は解放されたのに、「日本人」として戦犯に問われ、日本政府によって補償の対象から外された朝鮮人たちは救われないままでいる。そのことを問う内海さんの仕事は、戦争指導者が戦争を引き起こし、多くの民衆の命が奪われたという単純な形での総力戦の総括への異議申し立てだと受け止めています。
内海 私たちの年代は、戦争は知らない。戦後の混乱の記憶がどこかにありますが、戦犯と言えば、東条英機の名前を思い浮かべる程度でした。60年の安保闘争や65年の日韓条約の締結のころでも戦争裁判や戦争犯罪については、市民運動の中で深く問題として認識されてはいなかったと思います。72年に朝鮮人BC級戦犯の証言を載せた雑誌の記事やテレビドラマで、「なんで朝鮮人が戦犯になるのだろう」と疑問を持ちましたが、裁判資料も公開されていない。海外に資料調査に行けるのは80~90年代になってからなので、詳しいことはよくわかりませんでした。
成田 大きな転機があったのですか。
内海 75年にインドネシア…