楽天の宗山塁選手=恵原弘太郎撮影

 広陵高(広島)の野球とは、ですか? ずっと言われていたのは、野球に取り組む姿勢や、恵まれた環境が当たり前ではないということです。コロナ禍を経験し、それらをより強く感じている世代だと思っています。

 新型コロナウイルスの感染が拡大したのは、3年になる直前の2020年春でした。

 3月から活動が停止となり、寮から実家に戻って、父とキャッチボールをしたり、自宅の周りを走ったりしました。そうした自主練習を通して、それまで満足に練習できていたのは当たり前ではないことや、一緒にプレーする仲間の重要性を改めて感じました。

 主将だったので連絡をできるだけ取り合っていたのですが、部員の状況をすべて把握しきれたとは言えず、正直、前向きに練習していくのが難しかったのも事実です。

 そして5月、大きな目標にしていた第102回全国高校野球選手権大会の中止が発表されたときは悔しかったし、言葉で表現しづらいような気持ちになりました。個人としては大学に行ってプロ野球の世界に入って活躍する、という目標を掲げていたので、比較的、前を向くことができました。その一方で、チームにはその夏で野球を終える仲間もいました。人生をかけていた最後の大会がなくなり、苦しむ仲間の姿は忘れられません。

 ただ、高校でいろいろと学ぶ3年間は甲子園よりも大切な時間です。さらに代替大会の開催が決まったことで、「もう一回、全員でやっていこう」と目標を再び持つことができました。

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 広陵高は伝統があり、常に勝つことが求められるチームです。同級生だった渡部聖弥選手(大商大から今年、西武にドラフト2位で入団)らと、より高いレベルを目指しながら切磋琢磨(せっさたくま)したのは良い時間でしたし、互いが成長するのに必要な時間でした。

 甲子園には2回、出場できました。1年の夏は二松学舎大付(東東京)戦に途中出場して1打数無安打。2年の春は八戸学院光星(青森)、優勝した東邦(愛知)と戦って計7打数1安打でした。

 良い結果を出せなくて悔しい思い出がかなり強く残っていますが、今思うと、甲子園で成功していたら、その後、慢心が生まれていたかもしれません。うまくいかなかったことで、まだまだ上を目指していかないといけない、という気持ちになれたのです。

 高校野球は基本、一発勝負で負けたら終わりです。練習は苦しいですけど、「こいつならレギュラーだ」と思わせるぐらいの練習をして、必死に取り組む姿勢を周りから認められた上で試合に出ることが大事だと考えていました。

 高校野球は3年間しかないので、ああしておけば良かったと後悔するのはもったいない。楽な方に逃げたくなる気持ちが生まれるときがあるかもしれませんが、ただやり過ごすのではなく、「最後までやり切った」と思えるまでやることによって、絶対、良い経験になると思います。自分もしんどいことが多かったのですが、今につながっています。

 むねやま・るい 2003年生まれ、広島県出身。広島・広陵高時代、18年夏、19年春に甲子園に出場した。明大では1年春にリーグ戦デビュー。主将を務め、東京六大学リーグで歴代7位となる118安打をマーク。24年春、大学生ながら日本代表「侍ジャパン」のトップチーム入り。同年秋のドラフト会議で、5球団から1位で競合指名を受けた末、楽天に入団。開幕戦は「2番・遊撃手」で先発した。

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