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 日本標準時の基準となっている東経135度子午線上にある兵庫県明石市立天文科学館が、シンボルの大時計(直径6・2メートル)を17日午前5時46分から12時間止める。阪神・淡路大震災の発生から30年の歩みや今後の防災に思いをはせる時間にしてもらいたいという。

 科学館もあの日、大きな被害を受けた。

 大時計が取り付けられている主塔(高さ54メートル)のうち、エレベーターのある内塔が13階と14階の中間付近で折れた。建物全体の亀裂は延べ6キロにおよび、「大破」と判定された。

 阪神・淡路大震災が起きた1995年、大時計は2代目だった。地震の揺れで建物内部の親時計とのケーブルが断線し、午前5時46分を指したまま止まった。応急措置で動き出すまで約1カ月かかった。

 一時は科学館の解体と事業終結も検討された。しかし、「長く市民に親しまれ、明石のシンボルである」などの理由で大がかりな復旧工事が決まった。大時計は96年10月にいったん撤去された。時計メーカーから3代目が寄贈され、98年1月17日に再び動き出した。

 その後科学館の復旧工事も終わり、同年3月、3年2カ月ぶりにリニューアルオープンした。震災前は1日に1千人の入館者があれば、にぎわっている状態だったが、再オープン初日には約4500人が詰めかけ、最初の4日間の来館者は計約2万人にのぼった。

 科学館のプラネタリウムは国内最古。自動制御ではなく、学芸員が手動で操作し解説する。再オープンの日にプラネタリウムの投影が終わると、来場者から拍手喝采がわき起こった。

 井上毅館長(56)は当時、学芸員として携わっており、緊張で手が震えたことを覚えている。みんな星の光に復興への思いを重ねているように映った。

 「被災して間もないころは、文化施設が直接的に役立つ場面は少ない。でも復興段階では『日常で楽しかった場所が戻ってくる』と喜んでくれた」と振り返る。大事な役割があることを肌で感じた。

 大時計は17日午前5時46分から午後5時46分まで止まる。職員らが黙禱(もくとう)を捧げ、館内では当時の様子を伝えるパネルを展示する。

 井上館長は「この30年間、いい思い出ばかりじゃないと思うが、決して震災を風化させてはいけない。大時計の針を止め、みんなで震災を振り返る大切なきっかけにしたい」と話す。

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