連載「民は主か 長州・山口からの問い」 第5回
明治維新には、不思議に思える点がある。
もしもこれが戦国時代だったら、と考えると、わかりやすいかも知れない。そのころ、長州や薩摩をはじめとする雄藩が幕府を倒したら、おそらく毛利氏や島津氏の天下になったのではないか。
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幕末・維新期も、幕府側と戦い、権力を握ったのは主に武士だった。長州では庶民も戦ったものの、毛利氏が藩を統治していた。薩摩などでは、長州のように庶民が活躍したわけでもない。
それなのに武士たちは、みずからの身分を解体してしまう。「四民平等」を掲げ、「廃藩置県」に踏み切って、世襲の武士が藩を統治する時代に幕を引いたのである。
いったい、なぜ?
「『維新革命』への道」を著した東京大学の苅部直教授(60)=日本政治思想史=に尋ねると、「身分制に対する不満が、庶民から武士まで強くあったと考えるしかありません」という答えだった。
幕府は松陰が国家の大事を論ずることを許さなかった
庶民だけでなく、武士もまた、身分制に不満をもっていたのだろうか?
そう考えていて、思いあたることがあった。吉田松陰が処刑される直前に残した遺書「留魂録」に、こんなくだりがある。
民主主義とは何か。日本で民主主義がかたちづくられていった歴史を振り返りながら、いまをみつめる連載です。筆者は、朝日新聞山口総局長の松下秀雄。出発点は、幕末・明治維新期から。
幕府が反対派勢力を弾圧する…