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野口善國さん。「死刑執行の朝、刑場へ連れていくためにガチャンと扉を開けたら、その死刑囚は黙って私たちの後をついてきました」=2025年1月14日午後3時7分、神戸市中央区、有元愛美子撮影
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 死刑の執行を担う刑務官たちの思いは、死刑をめぐる議論に反映されてきただろうか。弁護士の野口善國さんは、執行に立ち会った体験を公表している数少ない元刑務官の一人だ。だが、その体験について家族や同僚と語ったことは一度もないという。沈黙の理由とは。

〈記事の中ほどに執行の描写があります〉

「家内にも息子にも一度も話したことない」

 ――死刑執行の現場に立ち会ったご経験を公表してきましたね。半世紀も前の経験なのに「家族には一度も話したことがない」と最近語られたのを聞き、驚きました。本当ですか。

 「本当です。家内にも息子にも一度も話したことはありません。理由は、話したくないことだったから。それだけです」

 「私が執行現場で見聞きしたことは、尋ねられれば、また自分が必要だと判断すれば、講演や取材などの場で語ってきました。だから家族も当然、知ってはいるはずです。でも、話題に上ったことはありません」

 ――日本では、死刑の執行は拘置所にいる刑務官が主に担当してきました。野口さんは、刑務官だったご経歴のある珍しい弁護士なのですね。

 「少年非行の問題に関心があったので、大学を出たあと、少年院の教官になろうと法務省に入ったのです。でも、東京拘置所での勤務を命じられ、着任したら刑務官の制服を着せられて仰天しました。話が違うと思いましたが、説得されました」

 ――刑務官の職務の中には、死刑を執行することも可能性として含まれていることを、着任時に意識していましたか。

意識していなかった、執行という仕事

 「全く意識していませんでした。仕事をするうちに、うっすらと分かってきた感じです」

 ――うっすらと、とは?

 「私の周りでは、職場の人たちは基本的に誰ひとり死刑のことを話さなかったのです。話すのを禁じられていたわけではなく、お互いに触れないことが暗黙の了解になっていました」

 「けれど、まれにぽつりと断片的な話が出てくることはあったのです。あるとき幹部の一人から『野口君、死刑っていうのは荘厳なもんだよ』と言われました。ただそれでも、まさか自分が執行を担当することになるとは思っていませんでした」

 ――野口さんは執行にどう関与したのですか。

 「収容棟のうちの一つを管理する係長だった1971年末、上司から『あす執行があるから、君が死刑囚の身柄を預かってくれ』と言われました。命令されたらイヤとは言えません」

 「私の棟に死刑囚の男を移し、24時間の厳重な監視態勢をとりました。執行は翌日です。刑場まで確実に男を連行していくことが私の任務でした」

 ――当時の東京拘置所では、当日ではなく前日に本人に執行を告知していたのですね。

 「そうです。告知した日の午後、電報を受けて男の奥さんと親戚が飛んで来ました。男を面会室に連れて行くと、奥さんは男の手を握って泣くばかりで何も話せません。男は『人間は誰でも死ぬし、どっちが先かだけの話だから、どうか悲しまないで』と言い、奥さんは最後に一言だけ絞り出すように『息子の顔があなたに似てきた』と言いました。正直、涙が出ました」

 「翌朝、男を刑場まで連れて行きました。私の任務は本来そこまでだったのですが、自分の意思で執行現場に残りました」

思わずつかんだロープ

 ――なぜですか。

 「『自分には命を助けることもできない』という思いが浮かんできて、『見ておくべきだ』と思ったのです。ほかの刑務官たちが男に目隠しをし、手錠を後ろ手にかけ、垂れ下がったロープの前に連れて行くのを、すぐ脇で見ていました」

 「男の足元には1メートル四…

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