阪神・淡路大震災の1年後から、被災地では1月17日に犠牲者の追悼行事が開かれてきた。遺族代表が毎年あいさつに立ち、胸につのる思いを語ってきた。残された人たちが、いつか誰かの心に届くと信じて、言葉をつないでいく。
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神戸市中央区の東遊園地では今年も、発災時刻である午前5時46分から追悼式典があった。
遺族代表として、市立若宮小の教諭、長谷川元気さん(38)が追悼の言葉を述べた。語ったのは、30年前の後悔。そして感謝だった。
当時の住まいは、古い木造2階建てのアパートの1階。あの揺れで、2階部分が落ちてきた。
母・規子さん(当時34)と弟の翔人(しょうと)さん(当時1)は大きな洋服タンスの下敷きになった。
規子さんは温かく、活気にあふれた人だった。近所の子たちも巻き込んで、公園で鬼ごっこやかくれんぼをして遊んでくれた。
翔人さんは笑顔の可愛い子。サッカーボールを転がすと勢いよく蹴り返した。その様子を見て、「すごい。将来が楽しみ」と規子さんが言っていたのを覚えている。
父から、2人の死を告げられた。
小学2年生だった長谷川さんに、後悔が襲う。
どうしてもっと母を優しくいたわることができなかったのだろう。どうしてもっと翔人と遊んであげられなかったのだろう、と。
大切な人の存在は当たり前ではなく、一瞬にしていなくなることもあると初めて知った。
学校に行っても、同級生の口から「お母さん」という言葉が出る度に、悲しくなった。
泣く姿は見せたくないので…