こんなお経があるんですが――。飲み会の席で中学校の恩師に見せた、仏壇の経巻が、約850年前に奥州藤原氏の3代目、藤原秀衡が中尊寺に奉納した国宝「紺紙金字一切経」の欠落部分のようだとわかり、13日、住田町役場で無料公開された。
公開されたのはお経の「大乗大集地蔵十輪経巻第二」とみられる紺色の紙に金の文字で書かれた経巻。縦26・6センチで、紙の貼り接ぎがはがれ抜けている部分もあるが、状態は良く、並べると長さ934・7センチに達する。
町内の60歳代の男性宅の仏壇に、桐(きり)箱に入れてしまわれていた。昨年4月、奥州藤原氏初代の清衡が1126年に中尊寺に奉納した「紺紙金銀字交書一切経」が、建立900年記念で展示された。その報道を見て男性は「よく似ている」と気になっていた。
昨年秋、中学校の恩師で社会科教諭だった千葉英夫さんを囲んで会食する機会があった。男性は「歴史の勉強をして、これは何か知りたいんです」。そう言って、スマホで撮影した経巻の写真を千葉さんに見せた。千葉さんは町文化財調査委員で、町で採れる砂金を研究していたこともありピンと来た。「中尊寺の別の経巻の一部では」
男性が経巻を持って千葉さん宅を訪ねたのは今年の1月下旬。「まさか、と思って忘れていたんでしょう」。数日後に千葉さんは岩手県平泉町の平泉世界遺産ガイダンスセンターに経巻を持ち込んだ。
一切経はお経の全集のようなもの。約5300巻あったが、中尊寺に保存されているのは2724巻のみで、国宝に指定されている。経巻を調べた羽柴直人学芸員(現・岩手県埋蔵文化財センター上席専門調査員)は、昨年の中尊寺での展示に携わったことがある。民家にあった経巻が欠落している一部にあたり、紙質や書式も似ていることなどから、秀衡が奉納した一切経の一部の可能性が高いと判断した。
なぜ民家に?ヒントは桐箱の筆書きに
なぜ、民家に残っていたのか…