平安時代に源平合戦の舞台となった屋島を背に、神戸市や小豆島、直島などの離島と結ぶフェリーが行き来する。
高松市の高松港は、船舶乗降人員が全国4位の185万人(2022年)に上り、クルーズ船の寄港も増えている。
そんな四国の海の玄関口にとって転機となる出来事が今年4月にあった。
政府が防衛力強化の方針を打ち出す中、自衛隊などが平時から円滑に利用できるようにする「特定利用空港・港湾」の一つに指定されたのだ。
「有事に標的となりかねない」と市民団体が反対署名を集めるなど、波紋が広がっている。
観光客であふれる港の風景からは、将来、攻撃対象となる可能性は想像できない。だが、79年前、戦争が起きれば軍と民間の区別なく標的になることを示す事件が、アジア太平洋戦争中に起きたという。
過去から学ぶべき教訓は何か、取材を始めた。
終戦を告げる玉音放送が流れる1週間前の1945年8月8日。140人余りの乗客を乗せた民間船「女神丸」が小豆島の土庄港から高松港に向かった。
午前9時ごろ、屋島沖で突如現れた米軍機から機銃掃射を受け、28人の命が奪われた。これが「女神丸事件」と呼ばれる惨事の概要だ。
ただ、国も自治体も調査をせず、公的資料はほとんどない。
そんな中、土庄町の新城周子…