彼がまだ小学6年の時、修学旅行と将棋大会の日程が重なった。
どんなに将棋が好きな子でも少しは迷いそうなものだが、少年は「もちろん将棋に行くよ」と両親に即答した。
担任教諭が家庭訪問までして「一緒に行こうよ」と誘っても「将棋に行く」と、頑として聞かなかった。そのような子だった。
将棋大会と重ならない家族旅行にはもちろん出向いたが、将棋盤を持っていった。宿に着くなり、駒を出して指した。帰り道では「将棋を指したいから道場に寄って」と言った。
体調を崩して病院に行くと、待合室でずっと将棋の本を読んでいた。真夜中の部屋で、たったひとりの将棋を指すことが日常だった。
自分には才能がある、と思えたことはなかった。
始めた時、金と銀の動きの違いを覚えるのは人より遅かった。
だから誰よりも努力した。
そして強くなった。
17歳で棋士になってからも、自らを追い込み、将棋に打ち込んできた。例年12月31日の夜は紅白も見ずに将棋を指し、1月1日の朝は初詣も行かずに将棋を指している。有り余るストイシズムとタフネスにより、いつからか「軍曹」のニックネームが定着した。
32歳になった永瀬拓矢は25日、新鋭の西田拓也との王将戦挑戦者決定リーグプレーオフを制し、王将3連覇中の藤井聡太への挑戦権を獲得した。研究パートナーでもある藤井とは一昨年の棋聖戦、昨年の王座戦、今年9月の王座戦に続く4度目のタイトル戦となる。過去3度は全て敗れており、昨年の王座戦では八冠独占を許している。雪辱への思いは問うまでもない。
先の王座戦で敗退してから約2週間後の夜、これからどのように将棋に取り組んでいくかを尋ねた。永瀬は実に永瀬らしい言葉で答えてくれた。
「全てを出し切って、終わっ…