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目取真俊さん=2024年7月5日午後5時46分、沖縄県名護市、高橋純子撮影

 安倍晋三元首相が亡くなって2年が経過しました。沖縄在住の作家・目取真俊さんは、「安倍氏の記憶は特にない」と語る一方、安倍政権が、「沖縄をめぐる記憶の書き換えに熱心だったことは間違いない」。なぜ、書き換える必要があったのでしょうか?

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 安倍晋三氏の記憶? 特にありませんね。あれほど権勢をふるい、沖縄にむち打った人でも、亡くなれば忘れ去られる。それが政治のリアルでしょう。

 沖縄が日々対峙(たいじ)しているのは自公政権であり、もっといえばヤマト(本土)。沖縄対ヤマトという変わらぬ基本構図の中で、ただ役者が変わってゆくだけ。憲政史上最も長く首相を務めたとはいえ、安倍氏は役者としては凡庸だったということでは。称賛する側も批判する側も、「過大評価」の印象が拭えません。

 ただ安倍政権が、沖縄をめぐる記憶の書き換えに熱心だったことは間違いない。第1次安倍政権下の2007年3月、高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められました。「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうか明らかとは言えない」と待ったをかけたのです。

 これは沖縄県民の記憶に対する一種の「暴力」です。怒りは全県に広がり、同年9月の県民大会には11万人が集まった。保革を超えた「オール沖縄」の素地が紡がれました。

 ではなぜそのような記憶の書…

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