【動画】沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた=岡田将平、西岡臣、小宮路勝撮影

 沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた23日、沖縄の各地で朝から祈りを捧げる人たちの姿がみられた。

魂魄の塔に向かって手を合わせる樋口清美礼さん(12、中央)。母の伯父が戦争で亡くなったが、どこで亡くなったかはわからない。戦争のことを知るにつれ、小さい頃よりも戦争を起こしたくないという気持ちは強くなった。「自分たちが戦争を起こさないように頑張るので、安らかにお眠り下さい」=2025年6月23日午前8時21分、沖縄県糸満市、西岡臣撮影

兄2人を失った男性「戦争はすべてを破壊」

 沖縄戦最後の激戦地のひとつ、糸満市米須(こめす)に立つ「魂魄(こんぱく)の塔」。1946年2月に建立された沖縄で一番最初の慰霊碑と言われ、今年も多くの遺族が訪れた。

 嘉手納町の真栄城玄信(まえしろげんしん)さん(92)は、沖縄戦で2人の兄を失った。遺骨はなく、戦後、本島南部で拾った小石が墓に入れられた。この日は19歳で亡くなった兄・玄松さんの遺影と、玄松さんに届いた召集令状を持参し、祭壇に置いて手を合わせた。「こういう紙切れでやられるんですね」と口にし、「戦争が起こるとすべて破壊される。戦争が起きないように」と祈った。

早朝から魂魄の塔を訪れた嘉手納町の真栄城玄信さん(92、左)。戦争で亡くなった兄の遺影を置いた。「良い天気で、兄貴たちが見守って下さっていると実感している。今後も日本、沖縄で戦争が起こらないよう、毎年祈らなければいけない」=2025年6月23日午前6時8分、沖縄県糸満市、西岡臣撮影

那覇市の女性「戦争は終わっていない」

 那覇市の上運天(かみうんてん)亜樹さん(52)は、21歳の娘と塔の前でひざまずき、手を合わせた。

 千葉県出身で、沖縄出身の夫との結婚を機に21年前に移住。住んだ場所は旧真和志(まわし)村の地域で、終戦直後、米軍によって米須に移された真和志村民たちが、道ばたや畑に散乱した遺骨3万5千柱を集めて慰霊碑を建てたことから、毎年ここに通っている。

 沖縄では今も、沖縄戦時から残る不発弾が連日のように見つかる。「80年経っても戦争は終わっていない」と思う。

沖縄師範学校の学徒たちが戦没した「健児の塔」下にあるガマでは、沖縄市から来た兄弟が手を合わせていた。祖父の兄が犠牲になり、毎年慰霊の日に家族でこの場所を訪れているという=2025年6月23日午前8時20分、沖縄県糸満市摩文仁、内海日和撮影

孫2人を連れた女性「戦後生まれでも伝えられる」

 魂魄の塔から東へ約3キロ。糸満市摩文仁(まぶに)の県平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」にも、早朝から遺族らが訪れ、手を合わせたり花をそなえたりした。

 南城市の新里光子さん(78…

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