濃厚な甘みにピリリとした辛み。福島市佐原地区のカフェで味わえるのが、ほんのり緑色のわさびソフトだ。人気メニュー誕生の裏には、「地域の宝のワサビ田を守る」と10年前に立ち上がった地元住民らの熱意があった。
福島市中心部から西に10キロ離れた吾妻山麓(さんろく)。牧場に併設された「ささき牧場カフェ」では午前10時の開店と同時に客が訪れる。わさびソフト目当ての県外客もおり、多い時で月1千個が売れる。
カフェ代表の国府田純さん(57)は「春先はもっと辛みが強いですよ」。地元で採れたワサビの葉と茎が原料のため、季節によって風味や色の濃さが異なるのだという。
カフェから車で15分ほどの標高550メートルの場所にワサビ田はある。この広さ20アールのワサビ田、一時は存続の危機に立たされていた。
佐原地区でのワサビ栽培は明治時代にさかのぼる。自生していたものを自家用に育てたのが始まりとされ、1980年代後半には住民男性の一人が沢にワサビ田を造成して本格栽培に乗り出した。
サンショウウオも生息する清流で育ったワサビは、品質が高く評価され、東京・築地市場に出荷された。しかし、2011年の東京電力福島第一原発事故で一時出荷できなくなり、男性は高齢だったこともあり生産断念に追い込まれた。
男性から栽培を引き継いだのは、地区の住民ら。元電機メーカーの営業職やJAの金融担当職員、酪農家といった面々で14年、「佐原わさび生産組合」を立ち上げた。平均年齢70歳超えの素人集団だった。
「貴重なワサビ田を守りたいという一心だったが、簡単にはいかなかった」と話すのは佐藤栄一組合長(77)。震災のあと3年ほど休耕して荒れていた田を草刈りなどで整えた。いざ栽培を始めても、病気や害虫が原因でうまく生育しなかったことも。教本を読んだり、沢ワサビの生産地の静岡県や長野県に視察に行ったりして、栽培法の改良を重ね、出荷にこぎ着けた。
販路も組合員らが独自で開拓。「地元で消費してもらいたい」と県内の高級旅館やすし店などに卸す。
佐藤組合長は「年間を通して水温や水量が一定していて、ミネラルが豊富。繊細な沢ワサビの栽培にこれほど適した環境はなかなかない」と胸を張る。
組合の初期メンバー6人のうち2人が亡くなり、2人は高齢で引退。新たに2人が加わったが、継承が課題だ。今年からはわさびソフトを販売するカフェの従業員がワサビ田の管理を手伝う。
国府田さんの父で22年に亡くなった佐々木健三さんも組合を立ち上げた一人。国府田さんは「店としてもワサビ栽培を支えていきたい」と話す。(酒本友紀子)