イスラム教徒土葬墓地の建設予定地

アナザーノート 前西部報道センター次長・土佐茂生

 九州のある町の山奥で、イスラム教徒の土葬墓地建設計画が持ち上がった。地元から反対の声があがるなか、許可権限をもつ町長は判断を迫られた。そのとき、首長が耳を傾けるべき民意はどこにあるのか。

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 大分県日出(ひじ)町は人口約2万8千人で、国東半島の南端にある。鹿鳴越(かなごえ)連山を北に、別府湾を南に望む自然豊かな町だ。別府温泉がある観光地・別府市と隣接し、大分市に湾沿いに25キロほどで行けるため、子育て世代に人気の町でもある。

 2019年3月、この町にイスラム教徒の土葬墓地建設の話が浮上した。別府市の宗教法人「別府ムスリム協会」が、同町の西端にある高平(こうびら)区に土地を購入。ここに土葬墓地を開設したいとして、墓地等経営計画協議書を町に提出したのだ。

 イスラム教では、死後、神の審判が下る日の復活を信じ、火葬は忌避されており、土葬の習慣がある。日本もかつては土葬が中心だったが、平成の時代に激減。現在では99%以上が火葬とされる。ただ、法的には土葬が禁じられているわけではない。

 ムスリム協会は18年12月ごろ、町の担当課と相談を始めた。ただ、当時の町長だった本田博文氏(71)が、土葬墓地の件を認識したのは、協議書が出された時だった。

 県庁の職員を30年以上務め、16年9月に町長になった本田氏は、長い行政経験から「誰が経営するとか、土葬であるとかに関係なく、墓地を造るという話はいろんな意見が出るから、簡単にはいかないだろう」と直感的に思ったという。

日出町の本田博文前町長。後ろには日出町や土葬墓地の予定地がみえる=2024年9月24日、大分県別府市、土佐茂生撮影

 本田氏は一つの方針を立てる。「これは条例に基づく許可申請だから、条例に基づいて判断するしかない」。墓地の経営許可などの事務は、県から市町村に権限が移譲されている。

 条例では、墓地を造る予定地から110メートル以内に住む人や土地の所有者、その区の代表者らを「近隣住民」と規定し、説明会を開くことを定めている。

 このため、ムスリム協会は20年2~7月にかけて計5回、「近隣住民」にあたる高平区の住民に説明会を開いた。

「日本に住んじょるんやから……」 根強い地元の反対で行き詰まり

 住民の多くは、そのときに初めて計画の詳細を知った。同区出身の衛藤清隆町議(74)は当時の様子について、「みんな、『えー、そげな墓地ができるなんて、全然知らんぞ』と驚いた」と話す。

 予定地の近くに池があり、すぐ下に同地区の水源地があった。水質が汚染されるのではないか、との懸念が指摘された。計画では埋葬数が100ほどあったことも、近隣住民を不安にさせた。同町によると、全国に土葬墓地は13あるが、これまで水質汚染の問題は発生していないという。

 また、13ある土葬墓地のなかで、もっとも西にあるのが広島県のものだった。九州には一つもなかった。近隣住民からは「九州や全国から遺体が集まってくるのではないか」という声もあがった。

 地元には、知らない宗教や文化への不安は漠然とあったという。数年前に廃校となった学校があったが、「別府のムスリム教会がもう古いけん、ここを礼拝所のようにするんじゃないか」とのうわさが出た。

 衛藤氏は「どんどん人口が減ってきて空き家が増える。イスラム教徒が入ってくるんじゃないか、という心配はやっぱりあった」と偏見があったことを認める。

 説明会は不調に終わった。その後、衛藤氏は高平区の代表ら3人と一緒に、別府ムスリム協会を訪れた。あきらめるよう説得するつもりだった。

 「日本に住んじょるんやから、日本は99%火葬しよるんじゃけ、日本の習慣にしてくれんか」

 ただ、ムスリム協会側からは、宗教上、火葬はタブー視されていることと、近くに墓地が無いため、本当に困っているという説明があったという。

 衛藤氏が帰ろうとすると、ムスリム協会側は「ご飯を食べていきませんか」とカレーを振る舞ってくれた。雰囲気は和んだが、話し合いは平行線だった。

 20年8月には、高平区と隣の目刈区から、土葬墓地開設反対の陳情書が提出され、同年12月、議会は賛成多数で採択した。話し合いは完全に行き詰まってしまった。

イスラム教徒の土葬墓地について、早期建設許可を求める文書を日出町側に手渡す別府ムスリム協会のカーン代表(左から2人目)ら=2020年12月2日、大分県日出町役場、加藤勝利撮影

 転機は翌21年の初夏のころ。広瀬勝貞知事(当時)が、高平区で地域おこしの活動を行う女性グループの視察に訪れた。昼食を取って帰ろうとした際、グループのメンバーが「困ったことがある」と土葬墓地を話題にした。そのとき、「墓地自体に反対ではないが、建設場所が心配なんだ」という趣旨の話をしたという。

 本田氏はこの会話の内容を、県庁を通じて知った。「高平区は『絶対反対』という姿勢だったが、軟化したかもしれない」と思った。

粘った地域住民との対話 「それが私の仕事」

 本田氏は、条例に基づいて判断する方針だったが、それを盾に地元の声を無視して押し切るのも難しいと思っていた。

 地元が軟化したとみた本田氏は、改めて高平区の住民らと話し合いの場をもった。町職員には「我々は、仲介も説得もしない。中立の立場で話を聞くんだ」と言い聞かせた。

 3回目の話し合いに、ムスリム協会を呼ぶことを提案。21年11月に実現した。その場で、高平区側から、ある提案がなされた。

 「土葬墓地を造るのだったら、山のもっと上の方に昔、高平区が町に寄付した土地がある。そこにしてくれないか」

 高平区側は、町有地となった別の場所なら受け入れる、と打診したのだ。ムスリム協会側も「そっちなら良いと言うのなら」と受け入れた。

 最大の障壁が取り除かれ、両者の協議が建設を前提にしたものへと変わった瞬間だった。

ムスリム協会と地元地区が合意した土葬墓地の予定地=2024年9月25日、大分県日出町、土佐茂生撮影

 本田氏は「絶対に反対と言っていた地域住民が、別の場所なら受け入れると譲歩した。そこまで変わってくれた。地域住民の願いや望みに、しっかりと答えていくのが私の仕事だった」と振り返る。

 本田氏はここで、条例にはない申し出を両者に出す。両者で合意した内容を文書にしてほしい、と。

 「墓地はずっと残る。合意したことを文書にしておかないと、墓地を造った時に生きていた人は知っているけど、後の時代になったら分からなくなる。将来にわたって残る文書があれば、住民は安心するだろう」

 これも長い行政経験から出た知恵だった。

 その後、高平区とムスリム協会は文書でやりとりを続け、23年5月に協定書を締結した。

 ①埋葬区画は79区画を超えない。墓地を拡張せず、新規の墓地は設置しない

 ②遺体を埋葬してから20年以上経過しないと、同じ区画に新たに埋葬しない

 ③九州各県に住所がある者の遺体のみ埋葬する

 ④年に1度、墓地の地下の水質検査を行い、高平区と日出町に提出する

 ⑤感染症による遺体などは法令にのっとり適切に処理

 ムスリム協会が町に相談に来てから約4年半が過ぎていた。対立を乗り越え、時間をかけて話し合いを積み重ねてきたことが実った内容だった。

ムスリム協会との協議について語る衛藤清隆町議=2024年9月25日、大分県日出町、土佐茂生撮影

 ところが――。

貼られたレッテル「土葬墓地推進派」 想定外だった反対の動き

 双方が合意した町有地に近い…

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