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高知市立南海中学校にある「紫雲丸遭難記念碑」に献花し、手を合わせる当時の同級生たち=2025年5月11日午前9時49分、同市長浜、亀岡龍太撮影
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 旧国鉄の宇高連絡船「紫雲丸」が濃霧の瀬戸内海で別の連絡船と衝突、沈没し、168人が死亡した事故から70年となる11日、高松市の西方寺で慰霊祭があり、遺族らが犠牲者をしのんだ。修学旅行中の児童・生徒らが犠牲になった高知市の南海中学校と愛媛県西条市の庄内小学校では追悼の集いが開かれた。

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 高松市西宝町3丁目の高台にある西方寺には、1955(昭和30)年5月11日、紫雲丸が沈没した高松沖の海をのぞむ慰霊碑が立つ。事故から2年後に遺族会が建立した観音像。当時の国鉄総裁、十河信二が題字を記した。

 11日午前11時に始まった慰霊祭には、遺族ら約20人が参列。川田邦博住職(67)が碑前で読経し、参列者が焼香した。

 西条市の庄内小6年生だった弟を亡くした青野敏子さん(89)は、おいと一緒に初めて参列。「年の離れたかわいい弟を思い出しました」。境内から海を見下ろし、「あんなに近いのに」と悔しさをにじませた。

 高知市の南海中3年生だった姉を亡くした女性(81)=兵庫県尼崎市=は「やさしい姉で、いつも一緒に遊んでくれた。亡くなったときは衝撃を受け、引きこもりになったほど」と振り返り、「6人きょうだいで生きているのは私だけになりましたが、元気なうちは来たいと思います」と話した。

 長年慰霊祭を続けてきた川田住職は「近年は遺族、生存者とも高齢化し、参列者が減っているが、海の安全と犠牲者の冥福を祈り、来年以降も法要を勤めさせていただきたい」と語った。

 修学旅行中の生徒28人が犠牲になった高知市の南海中学校では、11日午前9時半から、紫雲丸遭難者追悼慰霊式典が開かれ、遺族や当時の同級生、在校生ら約220人が参列した。

 「もっと生きたかった」など…

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