旧日本海軍の海軍工廠(こうしょう)の設備を継承し、戦後まもなく誕生した佐世保重工業(SSK、長崎県佐世保市)は、基地の街の経済を支えてきた。新造船から、海上自衛隊の艦船や特殊船の修繕へと事業の重心を移した同社の歴史や、安全保障との関わりについて奥田清利・佐世保造船所長にきいた。
――海軍工廠の流れをくむ造船所として、どんな役割を担ってきたのでしょうか。
太平洋戦争の後、米軍や旧海軍の軍艦の解体を主だった業務にしていました。当時はまだ船の建造は制限を受けていました。サンフランシスコ講和条約によって新造船の建造が解禁され、7年たってようやく小さいタンカーなどをつくりはじめました。その後、旧防衛庁向けの駆潜艇(くせんてい)や海上保安庁向けの巡視船を手がけてきました。
地元の佐世保では、戦後復興の足がかりの一つとして期待され、収益を含め会社の動向は耳目を集めました。特に、当時世界最大のタンカー「日章丸」を建造したことは、画期的な事業で、非常に注目を集めました。
最盛期には、工員は1万人を超え、造船所内は活気にあふれました。オイルショックや造船不況、中国や韓国の造船業界での台頭、リーマン・ショックなどを経て、2014年に大阪に本社がある名村造船所と経営統合しました。以前は、売り上げのうち新造船の比率が7割くらいでしたが、22年に新造を休止し、現在は修繕に傾注した事業展開をしています。
――どんな船を修繕しているのですか。
修繕事業として、海上自衛隊や米軍の艦艇、一般商船、海保の巡視船を手がけています。そのうち海自が占める割合は7割程度です。他方、工場に隣接した米軍基地がありますので必要に応じて米海軍の艦船も修理をします。艦船は車と同じように、半年点検といった検査を行う必要があります。また、4、5年スパンでの大きな定期検査もあります。
艦艇の修繕は、基本的に建造…