秋田など3道県で計104人が犠牲になった日本海中部地震は26日、発生から42年を迎えた。小学生が津波にのまれて命を落とした男鹿市の海岸では、遺族らが「あの日の弁当」を供えるなどして追悼した。
- 小さな漁村に押し寄せた津波、惨劇の記憶 日本海中部地震から42年
1983年5月26日に能代沖を震源に発生。同市の戸賀加茂青砂海岸が津波に襲われ、遠足で訪れていた旧合川南小学校(現北秋田市)の4、5年生13人が犠牲になった。
「殉難の碑」では、朝から地元のお年寄りたちが慰霊の準備をした。コップに水を入れて並べ、ろうそくを立て、線香立てをしつらえた。「天国に行った子の数。全部13ずつね」。足腰の痛さをこらえて手伝っていたおばあちゃんが言った。
5年生だった宗昭さん(当時10)を亡くした伊藤昭彦さん(85)は「今でも『なぜ』の思いばかり。何年たっても諦めきれない」と涙ぐんだ。
児童たちは浜に降りてお昼を…