島津亜矢さん=横浜市、倉田貴志撮影

 ポップスや洋楽など、あらゆるジャンルの曲を自在に歌いこなす演歌歌手の島津亜矢さん。「歌怪獣」の愛称で親しまれ、昨年には世界デビューも果たしましたが、10代のころは「ままならない日々だった」といいます。心の支えだった恩師・星野哲郎さんとの思い出を語ってもらいました。

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 幼いころからコンテストなどで数々のグランプリを手にし、「天才少女」の名をほしいままにした。13歳で作詞家・星野哲郎さんと出会い、熊本から上京して弟子入りし、15歳で歌手デビューした。

 ところがなかなかヒットに恵まれず、事務所を見解の相違から移籍。10代は思うようにならない日々が続いた。自分の他にも頑張っている人はたくさんいる。多くの人に歌を聴いてもらうには、運もタイミングも必要だ。将来には何の保証もない。

 星野さんの家の応接間で話を聞いてもらうたび、涙があふれた。そんなときいつも、こう声をかけてくれた。「お前の根性と、そのノドさえ腐らなければ、必ず何とかなる。とにかく前を向いて歩け」。そして、にこにこしながら「じゃ、おいしいものでも食べるぞ」とすし屋へ。帰りに「本当はタクシーで帰してあげたいけれど、まだ修業中だから」とバスに乗せ、見えなくなるまで手を振ってくれた星野さん夫妻の姿は、いまでも目に焼き付いている。

 レコーディングでは、何度も歌うよう指示するディレクターに「もうそろそろいいんじゃないか」と声をかけてくれた。安心するのか、一緒にタクシーに乗っていると眠ってしまい、ハッと気づくと「いいよ、寝てなさい」とほほえんでくれた。

 30歳でNHKの紅白歌合戦…

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