70年前、しょうゆ味のラーメンで挑んだ料理人が北九州・小倉にいた。小説家を夢見た東京・浅草の老舗そば店の末っ子。中華料理店を構え、作家の松本清張ら文化人に愛された。創業時から続く本店は2024年の火災で焼失したが、2代目の息子が6月下旬にも再建する。
JR小倉駅(北九州市小倉北区)の近くにある鳥町食道街。1955年、闇市がルーツとされる地で中華料理店「耕治」は創業した。翌年には経済白書に「もはや戦後ではない」とうたわれるなど、戦後の復興が終わりを迎えた頃だった。
創業者は平野耕治さん(故人)。江戸中期から続くそば店で生まれ育った。洋食店を営む兄の誘いで小倉に移り、別の店で修業もしないまま、九州では珍しい東京風のしょうゆラーメンを出した。次男の桂之介さん(63)によると、当初は受け入れられず、試行錯誤の中でコクのある透き通ったスープを生み出して人気を博していったという。ストレート麺を使っており、そばのようにのどごしが良いのが特徴だ。
松本清張、永六輔ら文化人が来店
小倉で育った松本清張もたび…