福岡市の幼稚園職員、城戸利子さん(54)は小学生のころ、祖母のツチさん(故人)が訪ねていく「ペリリュー」がどこにあるのか知らなかった。
「ココナツを飲んだよ」
「コウモリを食べたよ」
お土産話から想像するのは、暖かい南の島。
「そこにおじいちゃんがいるんだな」
祖父の天野国臣さんは1944年4月、太平洋戦争の激戦地・パラオのペリリュー島に赴任。「第14師団戦車隊」の隊長として、9月15日に上陸した米軍を迎え撃った。死亡したのは翌16日とされる。34歳だった。
43年に生まれた父靖臣さん(81)は、国臣さんに会ったことがない。戦後、3人の娘たちの前では父への思いを口にしてこなかったが、2016年に日本遺族会の慰霊巡拝で初めて現地を訪問した。
前年に当時の天皇、皇后両陛下が慰霊に訪れた。この頃、テレビのドキュメンタリーで、一家は祖父の戦車が煙を上げている米軍の記録映像を見た。
「一度は行きたい」。父に求められて、利子さんも同行した。それが転機となった。
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ジャングル歩き、炎天下で作業
このとき、日本遺族会の事務…