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興福寺の辻執事長(右奥)が小学生らを対象にワークショップを開いた=2025年3月25日、奈良県天理市杣之内町、今井邦彦撮影
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 毎年のように、地震や台風などの災害に見舞われる日本。そんな国でなぜ、お寺には何百年も前の建物が残っているのか。春休み中の小学生らが、興福寺の辻明俊(みょうしゅん)執事長と考えるワークショップが、奈良県天理市杣之内町のなら歴史芸術文化村で開かれた。

 催しは3月25日に開かれ、小学生と保護者ら15人が参加した。辻さんは、お寺が地盤の固い場所に建てられたことや、塔などの建物が地震や台風に強い構造であることを、図や動画を使って分かりやすく説明した。

 しかし木造建築は火に弱く、興福寺でも奈良時代の創建から何度も落雷や失火で建物が焼失し、そのつど、建て直されてきた。辻さんは「興福寺では建物を再建する際に、場所を変えない、大きさを変えない、奈良時代の建築法を大切にする、という三つの原則を守ってきた」と話し、それが伝統的な技術の継承にもつながっていることを強調した。

 危機は自然災害や火災だけではなかった。辻さんは明治政府による神仏分離政策や、昭和の太平洋戦争も興福寺の大きな危機だったと説明。さらに、福井県の原子力発電所で重大な事故が起きれば奈良が避難区域になる可能性にも触れ、「お寺の建物は奇跡的に残ったのではなく、次世代につなごうとした人たちがいたから残ってきた。これからどう守っていくか、皆さんにも考えて欲しい」と締めくくった。

 天理市から参加した山口蒼治(そうじ)さん(10)は「明治時代に(廃仏毀釈(きしゃく)などで)ほとんどの人が興福寺を出て行った時にも、誇りを持ってお寺を守り続けた人がいたと聞いて、すごくかっこいいと思った」と話していた。

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