審判員をする国竹教一さん=国竹さん提供

 「実は高校野球の審判をしていて」

 長崎市職員の国竹教一さん(51)は2024年5月、石川県輪島市にある日本航空石川高校の学生寮にいた。

 同年1月に発生した能登半島地震の復興支援のため同年5月1日付で長崎市から同県珠洲市環境建設課に派遣され、事務職として応急仮設住宅に入居する被災者の対応などにあたった。多くの建物が被災しており、宿舎として提供されたのが、珠洲市から車で約1時間かかる輪島市の能登空港の近くにある同校の学生寮だった。

 同校の野球部は夏の甲子園に2回出場経験のある強豪。夏の大会に向けて練習に励む球児の姿を目にして、いてもたってもいられなくなった。

 長崎で審判員をしていたことを明かすと、6月ごろから監督から審判を頼まれ、休日には練習試合の球審を務めた。

 慣れない被災地での勤務に加え、宿舎と珠洲市内の往復で疲れを感じることもあった。それでも、「昨年の夏は審判ができないとあきらめていた。偶然、大好きな野球に携わり、リフレッシュできた」という。

 国竹さんは長崎県立平戸高校の野球部出身。卒業後はプレーすることはなかったが、夏は球場に通って観戦した。再び野球に関わるきっかけになったのは、別の被災地への派遣だった。

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