1995年1月、阪神・淡路大震災の発生からしばらくの間、被災地ではボランティアらによる炊き出しが盛んに行われ、温かい食事がふるまわれた。復興とともに多くは撤収したが、発生から30年が近づく今も活動を続ける人たちがいる。炊き出しの列からは困窮者の移り変わりが見える。
12月下旬、神戸港に近い小野浜公園(神戸市中央区小野浜町)。正午が近づくと、大鍋からだしの香りが広がった。生活困窮者ら約100人が列をつくり、ボランティアが中華丼を一人ずつ手渡す。クリスマス前のこの日はケーキや年越し用のパンも提供された。
自転車で約30分かけてきたという60代の男性は「ここに来ればあったかい飯が食えて、話し相手もいるからね」と話す。
別の60代男性は「1時間かけて歩いてきている。物価高で家計が苦しくて……」と打ち明ける。
炊き出しは週3回、カトリック社会活動神戸センターとNPO法人神戸の冬を支える会(ともに同区)が実施。毎回、80~120人ほどが訪れる。食事とともに生活の相談も受けている。
観光地に野宿者の「駆け込み寺」
始まりは、神戸の街が揺れ、多くの命と住まいが失われた95年1月にさかのぼる。
震災2日後の19日、全国か…