Smiley face
写真・図版
岡山城天守わきの遊歩道に立つ戦災樹木=岡山市北区丸の内2丁目
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版

 岡山城天守のわきに立ち、1945年6月の米軍による岡山空襲で焼け焦げた跡が残る2本のエノキに、「戦災樹木」と案内する看板がお目見えした。戦後80年を機に、次世代に戦争の記憶と記録を継承するために岡山市が設置した。

 戦災樹木は樹齢100年超。天守の北東を通る遊歩道沿いに並んで立つ。空襲で天守が焼け落ちる際の炎と熱で、幹の天守側が焼けて一部が空洞となっている。焼失は免れ、裏側から焼けた部分を巻き込むようにして成長を続け、現在に至る。

 これまでも、岡山城がある烏城公園を管理する委託業者が設置したA4サイズの簡素な案内が張られていた。市民団体開催の戦跡をめぐるツアーなどで足を運ぶ人はいる。ただ、一見では普通の木。素通りされてきたのが現状だ。

 そんな状況を受け、岡山市は戦後80年を機にプラスチック製の看板を新たに用意した。大きさはA4ほどだが、空襲で市街地の6割超が焼け野原になり、天守も焼失したことも紹介。英訳も添えられている。

 エノキは3本あったが、1本は倒れる恐れがあるとして市が一昨年に伐採。残った高さ15センチほどの切り株を標本として保存する作業を進めている。完成後は岡山空襲展示室での展示を検討している。

 担当の市福祉援護課は「空襲で炎を浴びながらも生き延びたエノキの生命力から、戦後に岡山が復興していく姿を感じてもらえれば」。市は今秋、岡山中央郵便局前の交差点付近にも「岡山空襲爆撃中心点」の説明板を設置する。

共有