黒いかばんに収められていた戦前の朝日新聞の一部=2025年6月20日、高知市の朝日新聞高知総局、竹田真志夫撮影

 「戦前の朝日新聞とアサヒグラフがあるから寄贈したい」

 真夏日となった6月19日、朝日新聞高知総局にこんな電話があった。その夕方、電話をくれた高知市長浜の浜田充史さん(82)の自宅を訪ねた。

 浜田さんは卓上に古新聞を置いて、待ち構えていた。1982年に亡くなった父の黒革のかばんにしまわれていたという。

戦果を強調、見出しが躍る

 42(昭和17)年1月1日の1面。炎上する軍艦を俯瞰(ふかん)した写真が紙面の半分を埋めている。

 その横に「撃滅せり! 米太平洋艦隊」の見出し。41年12月8日の真珠湾攻撃の空撮だ。「海軍省提供」のただし書きもある。

 切り抜きもあるので正確にはわからないが、古新聞は戦前のものが30点余り、戦後のものが10点ほど。ほぼすべてが大阪本社発行版だった。

 最も古いものは33年11月9日付の号外で「五・一五事件海軍側の判決理由」だ。

 ただ、42年の日付のものが19点と多くを占める。

 浜田さんは「わたしの生まれ…

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