まるで花火が散ったみたいだった。いまだに脳裏に焼きついている。
竹村錠子(ていこ)さん(94)はあの夜、猿若町(現在の東京都台東区浅草6丁目)にあった自宅の2階で布団に入っていた。女学校に通う14歳のときだ。
午前0時すぎにたたき起こされる。窓越しに目に飛び込んできたのは、B29による焼夷(しょうい)弾で真っ赤に燃えるまちだった。
着物を洗濯する「洗張(あらいはり)屋」を営んでいた自宅は、言問(こととい)通りに面していた。上着だけを羽織って外へ飛び出すと、通りの反対側は火の海だった。隅田川を渡ろう――。家族で言問橋へ向かった。
焦げた人の山 隅田川に浮かぶ遺体 戻らなかった母
橋は両岸から押し寄せた人た…