80年前に玉音放送を聞いた元町厳島神社で話す杉島和三郎さん

 横浜市の元町自治運営会長など多くの役職を歴任し、今も生まれ育った元町に暮らす杉島和三郎さん(97)は、80年前に地元の神社で玉音放送を聞いたといいます。「あの日は私にとってもターニングポイントだったけど、負けたことに驚きはなかった」と語ります。

 天皇陛下から重大な知らせがあるからと元町厳島神社へ集まるように言われ「ただごとではない」と思ったという。

 その2カ月半前、卒業後も手伝いに通っていた県立工業学校(現神奈川工業高校、神奈川区)で横浜大空襲に遭った。ご真影と呼ばれた天皇陛下の写真や銃器を守ろうと持ち出し、バケツなどで消火活動をするうちに木造校舎はみるみる炎に包まれた。校長の「逃げろ」という声で避難した。その前には、爆弾が校庭の防空壕(ごう)を直撃し、男性教師が1人死亡していた。

 遺体が転がり、けが人が座り込む横浜の中心部をなんとか歩いて戻ったら、元町も焼けていた。住民たちが身を寄せ、床で寝起きしたのは「バンドホテル」のロビー。親切な人の家に身を寄せたあと、バラック小屋を建て、両親、妹となんとか一日を生き抜くような状態で、8月15日を迎えた。

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