米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する沖縄国際大学に、米軍の大型輸送ヘリコプターが墜落した事故から13日で20年。事故は米軍によって日本の主権が制約を受ける日米地位協定の問題を浮き彫りにした。近年は日米の軍事一体化とともに本土でも米軍機事故が相次ぐが、不平等な実態は変わらぬままだ。(小野太郎、矢島大輔、里見稔)
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事故は、アテネ五輪開幕前日の2004年8月13日午後2時15分すぎに起きた。那覇市の沖縄県警本部で会議中だった捜査1課長の石垣栄一さん(76)が現場へ駆けつけるとまだ、灰色の煙が上がっていた。回転翼の一部など、部品は住宅街に飛び散っていた。
石垣さんは現場検証の令状を裁判所に請求。翌14日、米軍の法務担当者に機体の検証に同意するよう求めた。「民間地への墜落。当然、自分たちが原因究明に必要な捜査をする」と考えていた。
捜査阻む地位協定と合意議事録
しかし日米地位協定、それも条文ではなく関連の合意議事録が立ちはだかった。地位協定の各条項の解釈について日米で取り交わしたもので国会を経たものではない。合意議事録には、米軍の財産について日本の捜査当局は「捜索、差押え、または検証を行う権利を行使しない」とある。ただ、米軍の同意がある場合は「この限りでない」とも記されており、石垣さんはこの規定をもとに「ルールに従ってお願いに来ている」と時に机をたたいて米側に迫った。
しかし、担当者は「上の指示を仰ぐ必要がある」と繰り返す。「検証拒否」の回答が届いたのは、米軍がすでに機体回収に着手した後の17日だった。結局、米軍は事故後約1週間、機体周辺を封鎖。細かな破片も含めて機体を回収し、県警に明け渡した時には地表の砂まで削り取られていた。県警は航空危険行為処罰法違反の公訴時効が迫る07年、操縦士ら4人を氏名不詳のまま書類送検。地位協定は公務中の犯罪は米軍の裁判権が優先としており、那覇地検は4人を不起訴処分とした。
記事の後半では、「主権国家としてどうなのか」という政府関係者の声、日本列島全体が米中対立の最前線になっていると指摘する識者の話なども交え、この問題にどう向き合えばいいのかも紹介しています。
現場検証の拒否、一方的とい…