琵琶湖疏水(そすい)が国宝になる。明治時代につくられ、今も琵琶湖の水を京都市内に運び、市民の生活を支える。市が5月中旬に報道陣向けの説明会を開き、記者(26)も疏水やその沿線を船に乗ったり歩いたり。京都と滋賀を結ぶ近代の「お宝」を散策した。
午前9時半、記者の乗るびわ湖疏水船が三井寺乗下船場(大津市)を出発した。2018年春に始まった疏水船は上りと下りで計6種類のコースがある。今回参加したのは滋賀県から出発する下りのコース。三井寺から京都・蹴上(けあげ)まで約7・8キロを進む。ガイドのトムさんが案内してくれた。
すぐに第一隧道(ずいどう)(トンネル)に入った。入り口には「気象萬千(きしょうばんせん)」の文字が彫り込まれた石の扁額(へんがく)が見えた。「さまざまに変化する風光はすばらしい」という意味で、初代内閣総理大臣の伊藤博文が揮毫(きごう)した。
この第一隧道には明治の元勲・山県(やまがた)有朋が揮毫した扁額もある。ほかの隧道には、井上馨(かおる)、松方正義らの手による扁額が掲げられている。疏水工事が当時の日本にとっていかに大きな事業であったかがうかがい知れる。
半袖でも汗ばむほどの暑さだったが、隧道の中は暗く、ひんやりとして心地よい。全長2444メートルだが、入ってすぐ、遠くに出口の小さな光が見通せるのには驚いた。
山の両側から掘り進むだけでなく、山の上から垂直に穴を掘り、そこからも両側に掘り進める「竪坑(たてこう)方式」を日本で初めて取り入れたのがこの第一隧道だ。
「角度が1度でもずれたらトンネルがつながらない。完成後に中心線を測ったら誤差が6ミリだった。GPSもコンピューターもない時代です」とトムさん。当時の最新技術を駆使し、情熱を注いだ人たちの姿が想像でき、胸が熱くなる。
一方で、この疏水工事は17人の殉職者も出している。「工事に直接関係する殉職者だけの数字で、工事中にコレラなどにかかって亡くなった人も合わせるともっと多いはず」と教えられた。
第一隧道を抜けると、青もみじが目に飛び込んできた。秋は紅葉が見事だろう。春は桜や菜の花も楽しめるという。
疏水船は、れんがと石造りの橋を抜けた。かつては小学校のプールとしても使われたという浅瀬の船溜(ふなだまり)や、本圀寺(ほんこくじ)につながる朱塗りの橋も通過した。
長さ125メートルの第二隧道を30秒ほどで通り抜けると、「第11号橋」が見えてきた。なんの変哲もない小さな橋だが、実は日本最初期の鉄筋コンクリート橋だという。
第三隧道は長さ852メートル。「声がよく響いて歌がうまく聞こえる」とトムさんがオリジナルの歌を披露してくれた。
ここを通り過ぎると、京都御所に防火用水を送るためにつくられたれんが造りの旧御所水道ポンプ室が見えてきた。下船場だ。およそ1時間の船旅だった。
船を下り、蹴上インクラインを歩いた。インクラインは、蹴上の船溜に着いた船を、高低差約36メートルの南禅寺船溜まで運ぶための鉄道で、長さ約582メートル。建設当時は世界最長だった。1948年に稼働を停止した。
インクラインの下を斜めに交差して三条通から南禅寺方面へ貫くトンネル「ねじりまんぽ」を歩いた。強度を確保するため、らせん状にれんがが積まれている。吸い込まれるような不思議な感覚に襲われながら抜けると、その先には南禅寺。
刑事ドラマの舞台としても知られる「水路閣(すいろかく)」が見えてきた。蹴上から水流を分岐させた疏水分線を通す際、亀山法皇の御廟(ごびょう)を迂回(うかい)するように築かれたという。
西洋的なデザインのれんが造りの橋が寺の境内にある光景は人々を引きつける。この日も多くの観光客が写真を撮っていた。水路閣を通ったあとの水は北上し、農業用水などに使われている。
京都の近代化を支えた疏水ができて約130年。当時の人々の思いが時代を超え、今も暮らしを支えていることを実感した小さな旅だった。
疏水船は予約制。料金は日やコースによって異なり、片道2500~1万4千円。予約はびわ湖疏水船のホームページ(https://biwakososui.kyoto.travel/)。