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自宅周辺を案内する高田求幸さん。震災の時は自宅のそばまで津波が迫った=福島県南相馬市原町区雫、波多野陽撮影

 逃げられた人、逃げられなかった人。身近な人たちの明暗を背負い、あの日の教訓を伝え続ける語り部がいる。

 13年前の3月11日午後、福島県の沿岸部、南相馬市の高田求幸さん(86)は市の中心部にある駅前のパソコン教室にいた。ワープロソフトの使い方を習っている時、経験したことがない、激しい揺れに襲われた。

 揺れを何とかやり過ごすと、海から約800メートル離れた原町区雫(しどけ)の自宅に戻ることにした。普段なら海に近い「浜街道」を通る。だが、1960年のチリ地震の時、父が「津波が来るかも」と警戒していたのを思い出し、陸側の国道6号を選んだ。

 自宅は屋根瓦が少し落ちていたが、大きな被害はなかった。津波への警戒が緩み、片付けを始めた時、2階にいた長男が叫んだ。「津波が来る!」

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震災の翌日、高田さんが弟の自宅付近で撮影した写真。義妹の宥子さんを探そうとしたが、がれきや水に阻まれた=2011年3月12日、福島県南相馬市原町区萱浜、高田求幸さん提供

弟が語ったあの日の経緯

 外に出ると、自宅前の低地に…

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