記者コラム「多事奏論」 編集委員・清川卓史
社会保障史に残る判決だった。
最高裁判所は6月27日、国による生活保護費の大幅な引き下げ(2013~15年)には裁量権の逸脱や乱用があり、違法だったとして減額を取り消した。
戦後最大だった減額の背景には、自民党が当時掲げた「給付水準10%引き下げ」という選挙公約があった。政治的減額であったことは明らかだ。
それと同時に忘れてはならないことがある。これが当事者不在の差別的構造のなかで決まった引き下げだった、ということだ。
生活保護費見直しの過程で、切実な暮らしの実態を利用者から直接、丁寧に聞き取る場は一度もなかった。過熱していた「生活保護バッシング」の嵐のなかで、利用者の声は封じ込まれていた。「私たちのことを私たち抜きで決めないで」という理念は、一顧だにされなかった。
残念ながら、判決後の厚生労働省の対応をみる限り、当事者の声を軽んじる姿勢を改めていないと言わざるをえない。
判決から1カ月が過ぎても、原告が求める謝罪をしていない。謝罪する気があるのか否かも明らかにしていない。
福岡資麿・厚労相は、専門家らが判決を受けて審議する場を新設する方針を会見で表明した。しかし原告側には事前に連絡も相談もなかった。
判決後の国の対応について、原告弁護団の小久保哲郎弁護士は「生活保護利用者はないがしろにしても構わないというメッセージだ」と批判する。
「国は最初から僕らのことを馬鹿にしているから」
記者会見で、そう語った原告男性の言葉が胸に残る。
最高裁で敗訴したのに、いつまで当事者を侮るような対応を続けるつもりなのだろう。厚労省の姿勢には、空恐ろしいような思いすら抱く。
こうした国の姿勢は社会にも悪影響を与え、偏見の土壌ともなりかねない。
すでに判決を巡る報道などに…