かつて大量の有害産業廃棄物が不法投棄され、「ごみの島」と呼ばれた瀬戸内海の離島、豊島(てしま)(香川県土庄町)。計91万トンに上った廃棄物の完全撤去に道筋をつけた公害調停の成立から、今月6日で25年となった。
原動力となった住民運動を担った一人で、町議の石井亨(とおる)さん(65)にふり返ってもらった。
- 「ごみの島」から「学びの島」へ 今も残る、悪事を手がけた敵の本丸
《国内最大級と言われた豊島の産廃不法投棄事件の発端は、1975年に業者が香川県に産廃処理業の許可申請をしたこと。県は78年に汚泥処理などに限って許可したが、業者は許可外の車の破砕ごみや廃油などの有害廃棄物を次々と投棄するようになり、90年に兵庫県警が廃棄物処理法違反容疑で強制捜査するまで続いた。野焼きによってダイオキシンも発生した。産廃は山積みになったまま残された》
僕が住民運動に参加したのは90年の強制捜査の直後です。まもなく父が亡くなり、家業の養鶏を廃業するなど、生活との両立が難しい状況でしたが、「産廃を撤去できなかったら、子や孫の世代から恨まれることになる」と逃げられませんでした。
国定公園である豊島でなぜ十数年もの間、不法投棄が行われたのか。金属回収を装うなど、合法に見せかけた業者の悪知恵と、現場職員が違法行為に気づきながら、適切な指導監督を怠った県の「協力」がありました。
住民運動でそれらの証拠が明らかになりましたが、県は責任を否定しました。間違いを犯した県に謝罪させ、その責任として元の島に戻させることが目標となりました。
中坊氏「国民主権の実質化運動」
《豊島住民は93年、産廃の全面撤去などを求めて公害調停を申請した。民法上の不法行為の時効が成立する5日前だった》
転機は、日本弁護士連合会会長を務めた中坊公平弁護士(2013年に83歳で死去)と出会ったことです。中坊さん以外の誰がやってもこんな展開になっていないと思います。
中坊さんは「私に任せなさい…