奈良県立橿原考古学研究所付属博物館で開催中の春季特別展「王陵 桜井茶臼山古墳」(朝日新聞社など後援)の第3回研究講座が1日、橿原市畝傍町の橿考研講堂であった。奈良盆地東南部に築かれた桜井茶臼山古墳の調査・研究を担ってきた橿考研の岡林孝作・学術アドバイザーが、具体的な研究成果を紹介しながら被葬者像に迫った。
桜井茶臼山古墳は、3世紀後半ごろに築かれたとみられる全長204メートルの前方後円墳。岡林さんら橿考研のメンバーは2009年に後円部の墳頂部を再発掘し、埋葬施設にあたる竪穴式石室の構造などを明らかにした。
桜井市から天理市にかけて古墳が点在する大和(おおやまと)古墳群には、全長200メートルを超える巨大前方後円墳が6基ある。このうちの箸墓、西殿塚、行燈(あんどん)山(やま)、渋谷向山(しぶたにむかいやま)の4古墳は宮内庁が管理する陵墓に指定され、発掘調査はできない。一方、陵墓に指定されていない桜井茶臼山とメスリ山の両古墳は、橿考研による発掘調査が実施されてきた。
岡林さんはまず、6基の古墳の被葬者像をめぐる研究史を整理。すべてを倭王陵とみるA説(倭王説)▽4基の陵墓は王陵、2基は大王に次ぐ地位を持つ有力者の墓とみるB説(有力王族説)▽祭祀(さいし)王(主)と執政王(副)の異なる2王による王陵とみるC説(二重王権制説)の三つの学説を紹介し、岡林さんはA説に賛意を表明した。
桜井茶臼山の被葬者が倭王の可能性が高いと考える理由についても議論を進めた。
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墳丘や石室の構造、副葬品の…