今夏、全国高校軟式野球選手権大会が70回の節目を迎える。それを記念して5月5日、東西の選抜チームによる交流試合が開かれることになった。「全国高等学校軟式野球選手権大会70回記念 春の軟式交流試合 in 甲子園」=日本高校野球連盟主催、朝日新聞社など後援。全国から選ばれた50人が、阪神甲子園球場で白球を追う。
- 延長五十回の激闘から10年 中京軟式野球部に受け継がれる財産とは
体格差関係なく、世代もつなぐ軟式
日本でゴム製の軟式ボールが開発されたのは1918年にさかのぼる。以降、硬式と比較してボールなどの用具が安価で、かつ安全な軟式野球は国内の野球普及に大きく関わってきた。高校の全国選手権は1956年に始まり、今夏、70回の記念大会を迎える。
いま、高校の軟式野球部は、様々な競技レベルの生徒が野球を続けられる場になっている。2016年に全国制覇した強豪の天理(奈良)でも、それは変わらない。
部員の中学時代の実績も様々だ。全国大会の出場経験者もいれば、地区大会で一つ勝つのが精いっぱいだった学校の出身者もいる。なかには、高校入学時は体が細く、硬式野球部への入部を諦めた部員もいる。
「体格差関係なく、いろんな選手が活躍できるのが軟式の面白いところ」と同校の硬式野球部OBでもある木田準也監督。ボールが軟らかいため、力があるだけでは打球は飛ばず、得点が入りにくい特徴がある。
そのため、盗塁やバント、ヒットエンドランを駆使した戦術や、守備の重要度が高い。部員それぞれに究めてほしい役割を伝え、練習試合は全部員を起用するという。
また、年に1度は60代までの卒部生と部員との交流試合も行う。岡田敬之部長は「軟式は卒部生との(試合を通じた)交流もでき、野球を続けていく将来像を感じやすい。野球を次世代につなぐ場になっていけるのでは」と話す。
5日の交流試合は、硬式野球部のあこがれでもある甲子園で開かれる。天理からは内野手の勝又瑠威(3年)が出場する。木田監督は「軟式野球という選択肢を広く知ってもらい、野球から離れる学生が減ることにつながればうれしい」。胸に大きく「天理」と縫い付けた伝統のユニホームは硬式と同じデザイン。軟式部員全員でスタンドから声援を送る予定だ。
部員数は横ばい 減り続ける硬式とは対照的
日本高校野球連盟によると、軟式の加盟校数は1984年度の702校をピークに減少が続く。2024年度は381校。2007年に全国制覇した新見(岡山)や全国選手権に4度出場の報徳学園(兵庫)は練習場所の確保や教員の働き方改革などを理由に2023年度で廃部となった。
軟式部員数は1983年度に調査を始めて以降、2016年度に初めて1万人を割り、2020年度に7787人まで落ち込んだ。その後は微増や微減を繰り返す横ばいが続き、2024年度は7716人。硬式部員数が2014年度以降、一貫して減少しているのとは対照的だ。
さらに特徴的なのは、継続率の高さ。1年生が3年生になった時に部に残っている割合は、2020年度から95%以上を保つ。2024年度は97・7%で、同年度の硬式は89・7%だった。
大阪府高野連軟式部の多田真己委員長は「環境があれば軟式で野球を始めたり、続けたりしたい生徒はいる。交流試合をきっかけに、軟式野球がより広がるとうれしい」と話す。
「転校したい」生徒を救った 履正社の軟式野球部復活
硬式野球の強豪で知られる履正社では昨春、軟式野球部が18年ぶりに復活した。前身の大阪福島商時代は1973年から5年連続で全国大会に出場したが、部員不足で休部状態になっていた。
復活のきっかけは3年前、学校生活に悩んでいた一人の生徒だった。中学まで野球を続けたが、強化クラブの硬式野球部には入れなかった。授業だけの学校生活に嫌気が差したのか、1年生の冬に「転校したい」と言い出した。
「野球しようよ」。担任をしていた原口祐起教諭が声をかけた。数人で三角ベースからのスタート。バットはリサイクルショップで探した。「楽しく学校に通ってほしいという思いだけだった」と、当時を振り返る。
2023年に新入生(現3年生)が10人以上加わって同好会となり、その秋に部に昇格。昨夏の府大会で履正社として公式戦初勝利を挙げた。現部員は2、3年生で31人。うち10人ほどが初心者だ。
高校から野球を始めた武田怜大(3年)は「褒めてもらえたり、これができるようになったと感じられたりするとうれしい」。小学5年生で一度、野球をやめたという樋上天星(同)は「怒られてばかりでしんどかった。ここでの練習は楽しい」。練習でミスが起きると、励まし、ときにちゃかす。経験者を中心に改善策を伝えることも忘れない。部をきっかけに、交友関係が大きく広がった部員もいた。
部のモットーは「楽しくのびのび」「応援されるチームになろう」。統括部長になった原口教諭は「本気で何かに取り組むことが楽しいと感じてほしい。それが大人になってから困難を越える糧になる」。交流試合は「全国に軟式野球部があることを知ってもらえる、貴重な機会」と話す。今回、部員の選出はなかったが、今後の目標にもつながっているという。
軟式交流試合の選抜メンバー一覧
東日本選抜チーム(丸数字は学年)
投 後藤 大輝 ③宮城・東北
投 会田 大嘉 ③山形・羽黒
投 明才地倖太 ③栃木・文星芸大付
投 森川 天太 ③千葉・拓大紅陵
投 出口 未来 ③神奈川・三浦学苑
投 本木 魁星 ③長野・松商学園
投 小田切音和 ③長野工
捕 尾崎 佑成 ③北海道・登別明日
捕 名須川琉斗 ③岩手・専大北上
捕 中島 陽翔 ③茨城・古河
捕 石川 雅規 ③東京・城西
捕 多田進之助 ③神奈川・栄光学園
捕 渡辺 陣 ③新潟商
内 白浜 琢磨 ③北海道科学大
内 佐藤 耀 ②青森・弘前工
内 進藤 海星 ③秋田工
内 栗原 秀翔 ③茨城・茗溪学園
内 新井 絢斗 ③栃木・作新学院
内 加藤 弘輝 ③埼玉・花咲徳栄
内 中根航太ジェームズ ③東京・駒場東邦
内 岡田 凱世 ③富山商
外 藤原 大侑 ②秋田
外 引地 遼汰 ③仙台商
外 藤村 厚志 ③栃木・白鷗大足利
外 樋口 陽斗 ③群馬・高崎工
記録員 広野愛梨咲 ②仙台商
監督 西山 康徳 仙台商
コーチ 葛西健太郎 登別明日
コーチ 羽田野道希 長野工
責任教師 岡村 悟司 三浦学苑
西日本選抜チーム(丸数字は学年)
投 氏原 奏達 ③愛知・東邦
投 大橋 輝雄 ③京都翔英
投 田中 瑛士 ③島根・浜田
投 土屋 海旺 ③岡山・高梁城南
投 吉田倫太朗 ③徳島・富岡東
投 川崎翔太郎 ③熊本・文徳
捕 岩山 大翔 ③岐阜・恵那
捕 南 大和 ③大阪・河南
捕 原川 快理 ③広島商
捕 大内 陽聖 ③愛媛・新田
捕 橋本 大空 ③大分・津久見
内 杉浦 祥太 ③静岡商
内 片木 耕太 ③滋賀・比叡山
内 勝又 瑠威 ③奈良・天理
内 坂口 卓弥 ③大阪・興国
内 足達 大輝 ③鳥取・米子東
内 三浦 綾峨 ③山口農
内 木村 友祐 ②香川誠陵
内 早川 駿哉 ③長崎・五島南
内 佐藤 奏太 ③鹿児島
外 山本 錬 ③三重・高田
外 大塚 亮汰 ③兵庫・育英
外 山下 昊悦 ③和歌山・耐久
外 宮家 遥生 ③浜田
外 新原 旭斗 ③福岡・朝倉東
記録員 藤本 琉星 ③熊本・開新
監督 浅井 重行 開新
コーチ 本田 知紀 松江農林
コーチ 五十嵐公三 興国
責任教師 加藤 貴裕 恵那
全国高校軟式野球選手権の主なできごと
1956年 第1回大会が大阪・藤井寺球場で開催。15校が出場し、土佐(四国・高知)が優勝した。
1961年 第6回大会2回戦で県和歌山商(南近畿)―東北学院(東北・宮城)が再々試合となり、計44イニングをかけて決着。翌年からサスペンデッドゲームを採用。
1981年 第26回大会から兵庫・明石球場などに会場を変更。藤井寺球場周辺が住宅地となり、応援の音量に配慮が必要になったため。
2009年 第54回大会1回戦で名城大付(東海・愛知)の右腕・小林雄太が初芝富田林(大阪)を相手に史上初の完全試合を達成。
2014年 第59回大会準決勝の中京(東海・岐阜)―崇徳(西中国・広島)戦が、日本野球史上最長の延長50回で決着。試合は4日間に及び、計10時間18分。翌年からタイブレーク制が導入された。
2018年 誕生して100年になる軟式球の規格が大きく変更された。硬さが増して硬式に似たバウンドになったほか、打球がより遠くへ飛ぶようになった。