最後に負けた悔しさは強烈だった。「気がついたら、アルプススタンドにあいさつをしていた」。夏の全国高校野球選手権に2年連続出場の関東第一(東東京)で、投打の中心を担う坂本慎太郎は、1年前を振り返る。
- 奇跡のバックホームは「偶然」だった 関東第一の監督が振り返る理由
大舞台での三振から奮起
2年生だった昨夏は3番・左翼手として京都国際との決勝に臨んだ。1点を追う十回裏2死満塁。米沢貴光監督の指示は「初球を振れ」。しかし、見逃した。
さらに、「振ったつもりだったけど、振れていなかった」。今までにない心理状態に陥った。追い込まれ、変化球をファウルにしようとしたが、中途半端なスイングで三振に。最後の打者になってしまった。
そして、迎えた最終学年の夏。左打席から、甘い球は逃さないという意思をみなぎらせる。東東京大会3回戦の城西戦は、七回に初球を打って本塁打に。決勝の岩倉戦も四回にファウルのあとの2球目を捉えてスタンドへ運んだ。
東東京大会での計7試合で、この2本塁打を含む27打数15安打(打率5割5分6厘)と打ちまくり、三振は0。「去年の経験が今年に生きた」と言う。
投手としては左腕から繰り出す最速130キロ後半の直球に、縦に大きく割れるカーブを交え、打者と対する。昨夏以降は直球の内角への制球や、変化球の精度を磨き、東東京大会ではチーム最多の36回を投げ、2失点に抑えた。
投打での高い能力が評価され、高校日本代表の候補合宿にも呼ばれたが、何もかも通過点にしかすぎない。記憶がおぼろげな甲子園の決勝の舞台に再び戻ってこそ、去年までの自分を超えるスタート地点に立てる。