歴史に埋もれてきた女性美術家たちに光を当てる試みが、美術館や国際芸術祭の展示で広がりつつある。「見えない存在」とされてきた作品をジェンダーの視点から見つめ直すと、作品に宿る作家たちの息づかいが迫ってくる。
力強さ、豪快さ…批評からこぼれ落ちた女性作家
豊田市美術館(愛知県)では10月4日から、日本の戦後美術史をジェンダーの視点から捉え直す企画展「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」が始まる。
第2次世界大戦後の日本では、前衛美術の領域で女性作家たちが大きな注目を集めたが、後に歴史から姿を消した。それはなぜか――。
この問いに切り込んだ中嶋泉・大阪大学大学院准教授の著書「アンチ・アクション―日本戦後絵画と女性画家」(2019年、ブリュッケ)に着想を得た企画で、草間彌生や田中敦子、福島秀子ら女性作家14人による絵画や立体の作品約120点が展示される。
同書などによると、日本では1950年代、フランス人批評家ミシェル・タピエが提唱した「アンフォルメル(非定形)」が一世を風靡(ふうび)。激しい筆致や重厚な絵肌を特徴とする抽象表現で、タピエによって名指しで称賛された田中や福島らが、一躍時の人となった。
アンフォルメルは批評家たちから、日本美術の地位を欧米並みに押し上げるものとして期待された。だが、なおも欧米中心主義的な美術界において、それが批評家たちの期待に応えるものではなかったことがわかると、今度は日本戦後美術の「敗北」として語られるようになる。
代わりに台頭したのが米国発祥の「アクション・ペインティング」という概念だった。絵の具を筆で塗る代わりにキャンバスに投げつけたり、まき散らしたりといった行為(アクション)が、男性批評家たちによって「力強さ」や「豪快さ」といったいわゆる「男性らしさ」と結びつけられた。その一方、女性たちは批評の対象からこぼれ落ちていった。
「アンチ・アクション」展は、こうした風潮に女性作家たちが当時、どう反応し、対抗したのかという切り口から作品に新たな光を当てる。
右にならえで、同じ絵を描けたものではありません
例えば、愛知県高師村(現豊…