Smiley face

 「大道無門を胸に人生の荒波を渡れ」。13歳でいきなりそんな言葉を言われても、意味がわかるわけありません。劇団桟敷童子(さじきどうじ)代表の東(ひがし)憲司さんが、中学の恩師のこの言葉をかみしめたのは、自分は皆が歩く道から外れるんだと確信した時。劣等感に苦しみ、食えなくて、それでも歩み続ける勇気をくれた、この言葉の力とは――。

写真・図版
劇団桟敷童子代表の東憲司さん=東京都墨田区、山本佳代子撮影

 1978年春、福岡県宗像郡。いつも竹刀片手でとても怖くて、だがその厳しさ故に、中1の自分が「大人になった」と実感させてくれたバスケ部顧問の恩師が他校へと異動した。「先生、行っちゃうの」。部活最後の日、消沈する部員に先生が配った色紙に書かれていたのが、「大道無門(だいどうむもん)」の4文字だ。

 「13歳の僕に無論、意味などわからず、ただ先生が説く声を聴いていた。人生に決まった道などない、寄り道でも遠回りでも志を持って進め、と」

 生まれは筑豊、既に斜陽だった炭鉱町。祖母は炭鉱付属病院の賄い、祖父は炭鉱の労務管理と、親族はほぼ炭鉱がらみだ。教員だった両親につれられ、幼いころ宗像へ引っ越したから記憶は淡いが、祖父母に会いに行くたび見た筑豊の燃える「ボタ山」は脳裏に焼き付き、原風景となった。

 難関高に進んだが「大学に行く意味」が見いだせず、受験勉強を投げ出して映画館に入り浸り、映画雑誌を読みふけった。当然、浪人。家出して京都大に進んだ友人宅に転がり込み、鴨川の流れを眺めて考えた。どうせ僕はダメな人間になるんだ、ならば好きな道に行こう。少年時代から空想で物語を作るのが得意だ、映画の脚本家をめざそう。

振り返れば「42歳まで青春だった」

 内心は友人らの歩む道から外…

共有