練習の合間に選手と談笑する山口達也監督(中央)=2024年8月18日午前9時19分、滋賀県東近江市

 監督が冗談を交えて選手と話し、ときには選手も冗談を言う――。滋賀学園は監督と選手の距離が近いチームだった。

 15年ぶり2回目の夏の甲子園を決め、初戦はまさかの7日の開幕試合。アルプス席も一体となって球場をわかせ、初めてベスト8まで進出した。

 山口達也監督(53)は大阪府出身。練習を取材していると、山口監督が選手の輪に入っていき、「関西ノリ」の冗談を交えて話す光景をよく目にした。

選手が監督にツッコミ

 一方通行のコミュニケーションではない。打撃練習中にグラウンドのネットに当たって転がってきたボールを山口監督が空振りした。すかさず、東坂愛琉(あいる)選手(3年)が「バットが下に入ってますよ」とツッコミ、周囲を笑わせた。

 「僕の性格で、監督というのが好きじゃない。だから距離感は近い」と山口監督。卒業生には「達也」と呼ばれる。

 その距離の近さで、打ち方などで気になったことがあれば、歩み寄って助言する。「しょうもないことばっかり言うてないですよ。一応、ちゃんと教えてます」。冗談めかして記者に言った。

 そんな山口監督について、門田侑也主将(同)は「監督から声をかけて、自分たちのことを見てくれている」と話す。

 71人の部員は滋賀をはじめ12都府県から集まり、このうち70人が寮で暮らす。「選手たちは甲子園に出るという夢を持って、腹をくくって親元を離れて来ている」と山口監督。

 部員たちをまとめたのが門田主将だ。寮でも中心となってミーティングを開くなどしてきた。部員たちは寮の掃除など生活面も見直し、野球にひたむきに向き合ってきた。

 そしてたどり着いた甲子園。浮かれることなく試合に臨んだ。「勝ち上がるごとにチームはよくなった」と門田主将。ベスト8入りが決まると、「開幕試合を引いた自分のくじ運はよかった」と笑った。

 19日の準々決勝で敗退後、滋賀県高校野球連盟のある役員は「あいさつやグラウンド整備もしっかりしてくれる、いいチームだった。よくやってくれた」とたたえた。(仲程雄平)

打線好調、3回戦まで2桁安打

 滋賀学園といえば「強打」。15年ぶり2回目の夏の甲子園で初のベスト8入りを果たし、その打力が全国でも通用することを示した。

 強力打線は7日の開幕試合から爆発し、3回戦まで全て2桁安打。準々決勝では、敗れた青森山田(青森県)の4安打を上回る9安打を放った。

 打線が好調だったのは、選手たちがふだん通りの力を発揮できたことが大きい。山口達也監督(53)によると、4日に宿舎入りしてからも選手たちの様子は変わらず、甲子園でも練習試合と同じようにプレーしていたという。

 強打のチームをつくるのに特別な練習はしていないというが、「バットを振り込む量は滋賀の中では多い」と山口監督。選手たちは、今春の近畿大会初戦で智弁和歌山に完封負けしてからは、低い打球をさらに意識してバットを振った。

 甲子園の抽選会後、相手投手を想定した打撃練習をしてきた。練習に入る前には、山口監督や門田侑也主将(3年)らが、思い描く打ち方を選手たちに伝えた。練習中は選手どうしで指摘し合い、山口監督もひとりひとりに助言した。そうした詰めの作業が好調な打線につながっている、と感じた。

自慢の堅守、準々決勝で無失策

 一方、自慢の堅守は準々決勝でも無失策。「守備型のチームとしての力は甲子園でも発揮できた」と門田主将。しっかりした守りが土台にある安定したチームだった。

 9月には秋の県大会が開幕し、来春の選抜大会を見据えた戦いが始まる。二塁手の多胡大将(ひろまさ)選手(同)は「春、夏の甲子園に出て、ベスト8を抜かして優勝してほしい」と後輩に夢の続きを託す。

 準々決勝では、2年生の土田悠貴投手が先発して好投した。この起用は、3年生の捕手3人が山口監督に進言したものだった。敗退後、涙を流した土田投手。「もっと先輩と一緒に野球がしたかった。甲子園でリベンジがしたい」と話した。(仲程雄平)

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