イスラムでの「悲しみ」との向き合い方<下>
中東の戦禍で、大きな悲しみの渦中にありながらも、生きる希望を失わない人々の姿に、東京大大学院特任研究員(イスラム思想)の兼定愛さんは、人間としての強さを見ると言います。争いの中では過激なイスラム主義に焦点が当たりがちで、武器を持たない圧倒的多数の庶民の心の問題が注目されることは決して多くありません。兼定さん自身がイスラムの信仰を持つようになって変わったという、「悲しみ」のとらえ方についても聞きました。
- 【連載(上)はこちら】戦禍で心の安寧を支えるもの 「悲しみとイスラム」東大研究員が語る
――シリアではアサド政権が崩壊して暫定政権が樹立されましたが、まだ混乱が続いています。兼定さんの現地の友人たちはどのように現実と向き合ってきたのでしょうか。
シリアが内戦で本当に悲惨な状況だったとき、私もシリアのことを考える度に息苦しくなったり体調が悪くなったりすることがありました。そんなときに、シリアにいる友だちに「何かできることあるかな」と尋ねると、いつも「とにかく祈ってほしい」と言われました。
――パレスチナ自治区ガザでは、イスラエル軍による大規模攻撃が続いています。
ガザからの報道をテレビで見ていても、日本語にはいちいち訳されないのですが、現地の人たちはアッラー(アラー)の名前をたくさん唱えています。アッラーの名前を唱えることで、正気を失わず、自暴自棄にもならず、これほど絶望的な状況下でもどうにか持ちこたえようと努めているように思います。
ムスリムにとって「人生」とは、今生きている現世と、死後の来世との両方を包括するものであり、アッラーは、一微塵(みじん)の正義も一微塵の不正義も見落とさず、完全な公正さをもって裁くとされています。現世で実現しなかった正義は、それが真に正義である場合、来世で必ず達成されると信じます。
兼定さん自身もイスラムの信仰を持つようになって、「悲しみ」との向き合い方に変化が生まれます。記事後半では、日本社会に生きる私たちが、人生に絶望しないために、ムスリムの生き方から学べるものについても聞きました。
大事にしたいけど、忘れてしまうと悲しいこと
――戦禍によって、家族や友人など愛する人を失った人も数えきれません。
特にパレスチナでは、筆舌に尽くしがたい悲惨な状況が現在進行中です。世界中の多くのムスリムは、理不尽に人々の命が奪われるこのような状況を変えていくために全力を尽くすことを、自らの義務とみなしています。
その上でですが、ムスリムが…