それぞれの最終楽章 看護部長ががんに(1)
米文学研究者 佐野潤一郎さん
妻の敬子が他界して、1年が過ぎました。
入院先のベッドで呼吸がゆっくりになっていた2024年2月25日の明け方、敬子は突然うっすらと目を開け、一晩中付き添っていた私を見ました。とっさに私が「いってらっしゃい」と声をかけると、最後に一つ大きく息をし、すうっと逝きました。その表情は満足そうな温かい笑顔で、機嫌良く寝ているようでした。
- 「それぞれの最終楽章」一覧はこちら
敬子が卵巣がんを告知されたのは20年5月。コロナ禍で医療現場が大混乱に陥る中、大阪の中規模病院の看護部長だった敬子も激務で、息切れするなど体調を崩しました。過労を疑って受診したのは自分が勤める病院ではなく、通勤途中の内科クリニック。自院を避けた理由は、病気だから働けないという烙印(らくいん)を押されたくなかったことに加え、看護を「する立場」から「される立場」へ変わることへの申し訳なさや違和感があったと後で話していました。
翌6月、がん専門病院で卵巣…