膵臓がんで闘病していた神奈川県立相模原高校野球部の前監督、佐相眞澄(さそう・ますみ)さんが24日夕に死去したことがわかった。66歳だった。
法政二高、日体大の野球部で活躍。野球の指導者をめざして中学校教諭に。監督として3校を計4回、全国大会出場に導き、「中学軟式野球の名将」と呼ばれた。
高校への異動を希望し、2005年から県立川崎北高へ。その後、県立相模原高でも野球部を指導し、「打倒私学」「甲子園出場」を公言していた。23年度で退職したが、昨年12月までは外部指導者として相模原高の指揮を執っていた。
15年春の県大会で準優勝、19年の夏の神奈川大会では4連覇がかかった横浜を破って4強入りするなど、「打ち勝つ野球」を掲げて実績を残してきた。
昨年6月、ステージ4のがんと告げられた。それでも「闘ってやろうじゃないか」と監督を続投。抗がん剤治療などを受けるために通院しながら指導し続けた。
昨年12月、記者に話した言葉は
昨年12月、治療に専念する…