網走湖に近い、川のほとり。大きな太陽光パネルが何枚も並んでいる。
その場所には2010年まで、サハリン(樺太)の先住民族ウイルタの文化を伝える資料館「ジャッカ・ドフニ」(網走市大曲2丁目)があった。
私が知ったのは24年秋。サハリンから、日本人とウイルタの血を引く女性(当時78)が訪れた時だった。
1945年までの40年間、北緯50度以南が日本領だった樺太。トナカイとの遊牧生活を送っていたウイルタも、日本統治下で戦争に動員された。
女性の親族ダーヒンニェニ・ゲンダーヌさん(故人)もその一人。特務機関から「召集」され、敗戦後は他の日本軍人とシベリアに抑留された。引き揚げ後、網走市に定住。国に軍人恩給の請求を退けられながらも、寄付を募って資料館を建てた。1984年に急逝した後は、妹が館長を継いだ。
全く知らない歴史と文化だった。
私の出身地の長野県は戦時中、中国東北部(旧満州)への農業移民が多かった。シベリア抑留は、小学生の時から聞きなじんだ戦争体験の一つ。しかしそこに、先住民族はいなかった。
今は無き資料館が残したかったことを、どうすれば伝えられるのだろう。
悩みながら、ゲンダーヌさんの妹が伝えた刺繡(ししゅう)を中心にまとめ、昨年末に、社会面「窓」に掲載した。
すると「樺太から引き揚げた母の遺品の中に同じような刺繡がある」と読者から反響があった。ジャッカ・ドフニの収蔵品を受け継ぐ、北海道立北方民族博物館への寄贈につながった。
まもなく戦後80年の夏が来る。埋もれている記憶は、まだきっとある。